宿を移動してバイクを置いたり歩く準備をしていたら、もう13時を過ぎてしまった。今日は首里城の中には入らず、周辺を散策しよう。
宿の近くの儀保駅から首里城まで歩くことにする。
琉球王国の政治家、蔡温(さいおん)の旧宅跡から、彼が登城した道を歩きたいと考えたからだ。
※蔡温(さいおん):17~18世紀の琉球王国の政治家。詳しくはウィキペディアを。
まず、蔡温旧宅跡に行く。儀保駅から徒歩5分、350m。
敷地と説明があるだけ。「跡」だからね。当然と言えば当然。
説明には「蔡温が掘ったという井戸や当時の石垣がわずかに残されている」とある。
だが、井戸跡らしいものは見つからず。
そもそも、井戸穴がある、と思い込んでいたのだが、違うのかもしれない。
さらに6分、400mほど歩くと、沖縄県立芸術大学 首里当蔵キャンパス。
うん、芸術大学っぽい建物。
手前の茶色いのは芸大のオブジェ。
光が当たっている、反対側(大学側)から中央部分をアップで。
題して「楔(くさび)と亀裂」(仮)
芸大正門前に着く。オブジェから徒歩30秒。
門の上のシーサー。
反対側のシーサー。門柱を這う蔦(つた)がいい感じ。
同じく芸大の蔦。
さすが芸大。蔦まで芸術的。
正門から校内に入る。
大学の警備員さんがいい人。
本当は立入禁止だが、特別に入って良し、って感じで入れていただけた。
働き盛りに埼玉の富士見市で暮らしていたことがあるらしい。
同郷のよしみ、とはちょっと違うけど、まあ似たようなもの。
キャンパス内の風景。こちらも芸大っぽい。
正門から外を見た風景。
向こうの建物のデザインも芸大ぽい。関連施設だろう。
胡蝶蘭(こちょうらん)。
芸大の植え込み。ちゃんと支えがあるのがGOOD。
きっと、みんなが見守っているんだろうね。
大輪のハイビスカス。
これも芸大の植え込み。
花が大きすぎて茎が支えきれない、、、もうだめだ。ぽとっ。
と、音を立てて地面に落ちたばかり。
芸大の向かい側。
シーサーと浮き玉(うきだま)
お腹がすいた。もう2時だ。何か食べよう。
と思って前を見ると、雰囲気がいい飲食店。
お店へのアプローチ。
まだランチタイムだ。あと1時間はだいじょうぶ。
アプローチに置かれた椅子に座って、Googleマップでお店のリサーチ。
すると、、、
4年前、夫婦で沖縄に来た時に夕食を食べたところだった。
夜だったし、初めてだったので、場所もよく覚えておらず。
いい雰囲気で賑わっていたなあ、ぐらいの記憶しかないのだが、、、
ま、記憶力テストを兼ねてここで食べよう。
入り口を入ったところ。
泡盛の瓶が並ぶ。呑兵衛にはたまらない演出。
記憶にない。ま、呑兵衛じゃないから。
お庭を見る席に通していただく。
記憶にある、ような、ない、ような。
ま、前回は夜だったし。
お店の名前は「琉球茶坊 あしびうなぁ」
「あしび」は「遊び」、「うなぁ」は「お庭」。
お庭を見ながらくつろいでいってね、ぐらいの意味か。
店名は記憶になし、とも言い切れない。
なんとなく覚えいるような気がしないでもない。
座ったところからの風景。確かに素敵なお庭。
いかにも熱帯系の植物や、
赤い花と白い髭など、、、
赤い花が咲く鉢植えの植物が妙に気になる。
珍しい花、なのか? 実、なのか? わからない。
目を凝らす。
鉢にこんなものを発見。カメラを望遠にして撮る。
う~む、文字が花に隠れて見えない、、、
頭を左右に動かしながら見て、わかった名前は「メディニラ・マグニフィカ」
フィリピン原産。沖縄での存在は数えるほどしかない珍しい植物。
まだ蕾なので、大きく開くと美しいだろう。
食べたのは、イカスミ焼きそば。
沖縄そばの麺を使っている感じ。麺の味が独特。
写真では、黒く細いのが麺、白いく細いのがモヤシ。白く太いのはイカ。
だいぶゆっくりした。そろそろ、行こう。
円覚寺(えんかくじ)跡。
石垣の枝模様。
円覚寺の前で猫と戯れるお嬢さん。
猫ちゃん、なでなでされて気持ちよさそう。
弁財天堂。背面から。
同じく。正面から。
龍潭へ向かう。
※龍潭(りゅうたん):1427年、琉球国王の命令で作られた池。詳しくはWikipediaで。
龍潭に向かう途中の風景。この穴は何? 解説の表示なし。
水鳥がいる。名称不詳。いい面構えしてる。
お母さんのあとに続く子供たち。
仲良く泳ぐ子供たち。
かわいいですね。人間もこのくらいの歳が一番かわいい。
お母さんと5羽の子供たち。
淡い黄色の子を主人公にした物語が作れそう。
おっと、こんな掲示も。
すぐに見つけた。龍潭の石の上で日向ぼっこ。
龍潭の上を泳ぐ鯉のぼり。
小学生の作品だろう
今日はここまで。宿に戻ろう。
途中で見つけた、ただものではない雰囲気の邸宅。
右の門柱には「尚」という文字が。
ということは、琉球国王 尚氏の末裔の邸宅?
恐る恐る門の中に入ってみる。
庭のガジュマルに解説文の掲示がある。
ということは、入ってもよい、ということだよね?
長居は無用。宿に向かう。
Googleマップのナビゲーションに従って路地に入り、下り坂を降りる。
Googleマップに従うと、ときどき思いがけない光景に出会う。これがいい。
坂を降りると川が流れている。
加良川(カラガー)。
18~19世紀に、川の水をせき止めて石畳の水汲み場を設けた、とある。
これが水汲み場のようだ。左手の低いところに水が溜まっていたのだろう。
木の根元。木の柵の向こうは穴のようだ。
柵の向こうを覗き込む。水が溜まっている。
川と繋がっているみたい。
水汲み場に降りるところにある、劇聖 玉城朝薫生誕之地、の石碑。
※玉城朝薫(たまぐすく ちょうくん):17~18世紀の琉球王国の官僚・劇作家・演出家。「城」という字は「ぐすく」と読む。「新城」は「あらぐすく」
儀保駅の脇を通り、宿に向かって歩く。
樹木の根がコンクリートブロックを引き裂いて下に伸びている。
根の先端が歩道に届いて、さらに下まで突き進んでいる。ように見える。
凄い生命力。
ここにも。
数えたら10カ所ぐらいある。その生命力に感心。
ところで、この崖の上には何があるのか? 気になるので行ってみた。
公園だ。説明書きがある。
美術村跡(ビジュツムラアト)
終戦後の1948年から1972年ごろまで存在していた、と解説にある。
作家と代表作。
公園近くの家の庭をふと見ると、、、
庭先に胡蝶蘭(こちょうらん)
沖縄では庭で胡蝶蘭が育つのだ。
ちょっと感動。
【本日のマニアック】
三菱製Jeep
木造の手摺りが独特のデザイン。
二階が独特のデザイン。
首里城の石垣。写真右上の角の尖りが独特。
尖っている部分には名前が付いていたり、形状の理由があったりするのだろう。
調査未着手。
龍潭の穴、何でしょうね?
今年中に沖縄に行く可能性が高いので、そのときに注意して見てみます。
ブログの筆者は上里隆史氏というとても有名な歴史研究者です。
一般向けの本も何冊も書かれていて、この春から浦添市立図書館の館長に就任されています。実は私の知人でもあります。
ISSAはびっくりですよねえ。
苗字が同じだからもしかしてとは思っていたのですが、どうも本当っぽいんですよね。
ウララさんとか、軽便与那原駅舎とか、思い込みのイメージと違っていて、超面白かったです。
やっぱり、「想定外!」というのが面白いですよね。
おお、行きたいのにまだ行けてないところです。
レポートとても楽しみにしています。
うざくならない程度に解説しますね(笑
蔡温の家、いま空き地になっている場所だけでなく並びの3軒分ぐらいあったらしいので、井戸は民家の敷地内にあるんじゃないかな~と思っています。
龍潭に向かう途中の穴は、弁財天堂の池とつながってるやつですよね?
深く考えたことはありませんでしたが、たぶんあの池の水は「首里城の丘の湧水→弁財天堂の池→龍潭」という順に流れているので、爬竜船競走をするときなどに増水させて水深を深くしていたのかな、などと思いました。
弁財天堂には高麗版大蔵経というスーパーお宝が収蔵されていたので、弁財天堂が浸水するのを防ぐ目的もあったのかもしれません。
首里城の石垣の角のとんがりは「隅頭石(すみがしらいし)」というのですが、用途は実はよくわかっていません。
下記ブログ記事が詳しいです。
http://okinawa-rekishi.cocolog-nifty.com/tora/2013/08/post-a46c.html
「劇聖」玉城朝薫さん、噂ではカーモンベイビーアメリカのISSAさんのご先祖様らしいですよ。玉城朝薫の子孫は「邊土名」という苗字に変わっているのですが、ISSAさんの本名も「邊土名一茶」なのです。
それにしても面白いですねえ。
私も行ったことのない場所や見たことのないものが紹介されていて、とても面白いです。
今後も楽しみにしています。
いつもいつもフォローありがとうございます。
龍潭に向かう途中の穴ですが、位置が高いんですよ。写真ではわかりませんが。
龍潭の水面から2mぐらいは高いと思います。
もし、この穴まで増水すると弁財天堂が水没するような気がします。
このあたりは日本軍が使っていたようですから、それと関係があるのでは、という気もするのですが。
石垣の尖りは「隅頭石」と言うんですね。なるほど。
ブログ拝見。いろいろ知ってる人がいるものですね。
ISSAさんが玉城朝薫の末裔とはビックリ。
やっぱり血筋は争えない?