9月13日(木)91日め 棚田を見に行く

ここ2日間ほど天気がよさそうだ。

計画を変更し、佐渡島の南側半分をツーリングすることにした。金山遺跡の大間港跡は後回し。

佐渡島には棚田がたくさんある。金山が発見されてゴールドラッシュで人口が増え、必要な食料が増えたためだ。平地が少ないので丘陵や山間を開発したのだ。

ツーリングコースをいろいろ検討して、小倉千枚田と岩首棚田に立ち寄ることにした。

相棒バイクで宿を出る。いい天気だ。

宿を出てすぐ「真野御陵」という看板が目に入る。気になるので立ち寄ることに。

駐車場の真野町観光案内図。「(アルコール共和国)」とある。そういえば酒蔵見学をした尾畑酒造にも看板があった。

ほら。入り口の上と右。

案内図の近くに赤玉石販売店がある。ちょっと尋ねてみよう。

こんにちは~。

いらっしゃいませ。

同年代ぐらいの品のよい女性が対応してくださる。

そこの観光案内図にアルコール共和国って書いてありますけど、どういう意味なんですか?

アルコール共和国? ああ、もうやめてます。

やめてる? ちょっと混乱してきた。

ずいぶん前に真野町がアルコール共和国って名乗っていたの。今はやめたみたいです。酒蔵が減ってしまったからね。昔は4つか5つあったけど、今は2つかな。

観光案内図には、「真野町役場」が「アルコール共和国総理府」となっている。こういうユーモアは好きだ。市の一部になって独立が維持できないから共和国廃止というシャレならよかったのだが、、、

尾畑酒造は頑張って生き残ってきた。酒蔵見学で感じたことを再確認した気がする。

ありがとうございます。お礼を言って赤玉石販売店を出る。

赤玉石の原石。石によって色味が異なる。

真野御陵。ちょっと先が入り口だ。

入り口から30mほど入ったところ。ここから先は立入禁止

敷地内の警告文。いかにも宮内庁。

「順徳天皇火葬塚」とある。ここで火葬されたが埋葬されているのは京都。鎌倉時代の複雑な物語がある。興味があれば調べると面白い(かも)。

さあ、小倉千枚田までツーリングだ。いったん島の南側の海岸に出て、海岸沿いに走って小倉千枚田に向かうことにする。

〇が真野。が小倉千枚田。赤線がルート。海岸までは山間ルートだ。

赤い鳥居が目につく。緑とのコントラストで目立つ。

山間部で出会った素敵な鳥居。

「(青龍さん)」にキュンとなる。こういうの、ホントにいいなぁ。心が和む。

奥の鳥居は控えめ。朱色の橋が引き立つ。こういうのもいい。

赤い鳥居。黄色い稲穂。そして緑の杜。これぞ日本の色彩!
こういう風景こそ外国人観光客に見せたい(注)

(注)唯物論者だが、日本古来の、神=自然、という考えは支持する。人間的な神は人間の妄想だが、制御できない自然=神、という考えには同感。「赤い鳥居は自然を敬(うやま)い畏(おそ)れる心の象徴」と外国人に説明したい。

素敵な廃屋もいろいろ。

不動滝バス停。この素朴感。 微妙な傾き。Good.

海岸付近で見つけた廃屋。屋根の3つの煙突。先端の欠けた大きな煙突。上に突き出たハシゴ。枯れた樹木と枯れたツタの葉。倒れた標識。そして青い空と白い雲。

完璧!

奥に「監視カメラ作動中 不法投棄金20万請求」の表示が、、、
この脱力感、いいですねぇ。

枯れたツタ、青い板、錆びたタンクと錆びた何か。絶妙な組み合わせ。
アクセントに相棒の黄色を入れてみた。

(たぶん)昔のバス亭。ハリカの大きな看板がアクセント。壊さずに残してほしい。きっと遺跡になる。

佐渡は絵になる自然が多い。

通り過ぎてから引き返して記念撮影。ありそうで、ない風景。

広葉樹の自然林とツーショット。こんな近くでツーショットできることは少ない。貴重な1枚。

佐渡の農家の典型的なたたずまい。これほど典型的なのも珍しい。

田んぼの中の花。素敵な感覚の持ち主がいる。ちょっと感激。

カワセミ? 魚を獲った瞬間? これは何?

カワセミではなく「やませみ」

不思議な枝ぶりの木と稲木干し。絵になる風景。

軒先のタマネギ。これはこれで絵になる。

こんなに美意識の高い石垣は見たことがない。素晴らしい。

空と海とガソリンスタンド。ありそうで、ない風景。
相棒を入れて撮ればよかった。

小倉千枚田が近づく。

右手に遠く小倉千枚田が見える。

到着。

慶安3年ごろ米不足を解消するために開発されたもの。
国の減反政策で耕作放棄されていたが、オーナー制度+ボランティアで一部を復活させた、とある。

全5haのうち、1.5haが耕作されている。

復活部分の風景。上側と左側は雑草のまま。

田んぼ一枚が狭く、段差が大きい。段差部分は斜面なので歩けない。何をするにもたいへんだろう。

オーナーの氏名標識が並ぶ。

個人が多いが、企業や学校もオーナーだ。

ここで稲作から収益を上げるのは困難だろう。残そうと思えばオーナー制度しかない。オーナーが増えればいいのだが、、、

こちらは付近の名のない棚田。稲作として収益をあげている様子。

上から見た風景。軽トラが走れる道が整備されている。収益をあげるには、一枚の面積、段差など、このくらいが限度か。

さて、岩首棚田に向かおう。

☆が小倉千枚田。〇が岩首棚田。いったん海に出るルートしかない。

海から棚田に入るところの案内板。養老の瀧がメインだ。
サブキャラのように「岩首棚田展望小屋」とある。

「7月24日発生の災害のため『養老の瀧』は見学できません。」
瀧には興味がないので無問題。

岩首棚田に着く。絵画的な風景が広がる。

展望小屋付近から見下ろした眺め。向こうは日本海。

トコトコと景色を堪能しながら走る。田んぼの段差が思った以上に複雑だ。

狭いところもギリギリまで利用している。右下は急斜面。

地形に合わせた複雑な形状。作業はしにくいだろう。

この田んぼ、埼玉県狭山市の社会福祉法人が(たぶん)オーナーになっている。

田植え写真。みな笑顔が素敵だ。

刈り入れが済んだ田もある。棚田での稲木干し。この風景は関東では見られない。

このあと、島の南側をグルっと一周。

〇が岩首棚田。が真野。赤線のルートでツーリング。

【本日の思索】
棚田は観光客には鑑賞物だが、生産者には生産環境。
どんなに美しくても、それ自体は収入にはならない。
生産性の向上と景観の維持、それをどう両立させるのか。
世代交代の時期はどんどん近づく。

9月12日(水)90日め 金山遺跡を観る(1)大立地区~北沢地区

今日は金山遺跡を見に行く。

江戸時代の人形がある坑道は写真などで有名だ。その外にもいろいろあるだろうとは考えていたが、半日もあれば見終わるだろう、ぐらいに思っていたのが甘かった。

金山遺跡があるのは赤丸あたり。相川(あいかわ)という地域。

真野の宿から18km、30分ほど走り、相川に着く。

現地の案内図。えっ、こんなにあるの?

地区が5つ。山のほう(東側)から、
・大立(おおだて)地区
・高任(たかとう)地区
・間ノ山(まのやま)地区
・北沢(きたざわ)地区
・大間(おおま)地区

面白い! よし! 山のほうから順に全部回ってやろうじゃないの。

ということで、まず大立地区へ。

大立竪坑(おおだて たてこう)。明治10年(1877年)完成の西洋式竪坑だ。

見上げると正面の名称が何かおかしい、、、

佐渡金
大立竪

って、なに?

右端の「山」と「坑」がないのだ。

う~む。関係者はどうした? 気づかないのか、直す気がないのか? たいして費用がかかるとは思えないが、、、

竪坑は、地表と(水平の)坑道を結ぶ垂直な坑道。上図では右端と左端にある。大立竪坑は右端のほう。
最終深度352m。巻き上げ動力は、馬→蒸気機関→電動機と変化。平成元年まで稼働していたらしい。

櫓の右側に石段がある。登ってみよう。

櫓の真ん中あたりに出る。巻き上げ動力装置などが見られるかと思ったのだが、、、
ゲートには鍵が、、、残念!

次に行こう。少し西の高任地区に向かう。

200mほど走ると大切山抗(おおぎりやまこう)。

坑道の入り口が見える。立入禁止。

江戸初期に山師(やまし、鉱山業者)の与次右衛門(よじえもん)が14年かけて400mの坑道を掘り進め、大鉱脈を発見したらしい。
空気不足を防ぐため、坑道を2本、平行に掘り、途中で数ヶ所貫通させて空気を循環させた、と解説にある。なるほど。

案内板の絵図。すぐ向こうが「青盤脈露頭堀り」というものだったらしい。

茶色の地肌が露頭堀りしたところ

穴がある。狸の穴に似ているから狸穴という。もちろん金を掘った穴だ。

垂直に切り立った山が見える。道遊の割戸(どうゆうのわりと)という。金を掘った結果、山がV字にえぐられてしまったのだ。

さらに300mほど進むと「史跡 佐渡金山」という観光スポット。

坑道に入れる。有料。株式会社 ゴールデン佐渡の運営。

坑道は、宗太夫坑(そうだゆうこう)、道遊坑(どうゆうこう)の2つ。

宗太夫坑の案内。当時の姿を伝える人形が配置されている。

道遊坑の案内。

係員の説明では、道遊坑に入ると道遊の割戸が正面から見られるとのこと。さっき見たのは裏側からだったようだ。山に表裏があるの?という気もするが、、、

坑道も含めて付近一帯がゴールデン佐渡という企業の所有らしい。坑道入り口の隣には土産物店がある。坑道に入ると最後に土産物店に出てくるという流れ。観光地によくあるパターン。

土産物店を覗いてみる。

人気No.1 小判チョコレート 埋蔵金。サンプルを食べてみる。普通のチョコレート。中から金は出てこなかった。

人気No.2 純金カステラ。表面に金粉らしき文様が、、、 カステラ自体が金ぽい。

大きさがベストマッチなのがこれ。金箔・栗ようかん。金の延棒サイズ。

小判トランプ。キングはお殿様。お正月に使うと盛り上がりそう。買いたいな、と心が動いた。

金塊型BOXティッシュ。総額約200億円。200円 × 325本 = 6万5千円で大金持ちになった気分?

気に入ったのはこれ。

宗太夫坑解説書。A5サイズ、オールカラー。

(注)写真は無断掲載。苦情が来て削除するまでの期間限定掲載。

写真と詳細な解説が40ページ。表紙は本文とは別の厚手の紙。全ページに光沢感のあるコーティングがしてある(PP加工という)。

これで100円。安い! 即、ゲット。

印刷費が100円以上かかっているはず。どう考えても赤字。補助金が出ているのかも?

ということはさておき、ここに行ったら買うのが正解。強く推奨。

読めばわかる、ということで、坑道には入らず。先に進む。

土産物店の道を挟んだ向かいにある宗太夫坑入り口。チケットを買う入り口とは別のもの。ここからは入れない。

「佐渡金銀山を世界遺産に」の旗は、佐渡市役所産業観光部の世界遺産推進課のもの。あとで知ったのだがホームページもある。

周辺案内図によると、粗砕場(そさいば)・貯鉱舎が近い。搗鉱場(とうこうば)跡もある。

300mほど走る。

粗砕場。金などの鉱石を含む土を粗く砕く施設。残念ながら敷地内は立入禁止。

貯鉱舎。砕いた土を貯めておく施設。

貯鉱舎の隣にある石積アーチ橋。写真左手。

なかなか渋い。

橋の内壁には銘板が残っている、とある。さっそく探す。

あった! これだ。

石積アーチ橋は2つある。下流の橋の上に乗り、上流の橋を撮る。
なかなか絵になっている。桜が咲くと綺麗だろう。

相棒バイクの正面に粗砕場がある。立入禁止表示の下に(株)ゴールデン佐渡とある。企業の所有物は開放が難しい。老朽化しているし。有料にして管理人を置いても、観光客が入るとは思えない。採算は合わないだろう。

道の反対側には搗鉱場(とうこうば)跡。当時の日本では最も整備された製錬所だったようだ。

この廃墟感!  いいですね。

200mほど行くと金山茶屋。

駐車場から見える道遊の割戸。V字にえぐれている。下の白いのは粗砕場の屋根。

400mほど進む。

無宿人の墓の入り口。右手の階段を登っていく。墓ではなく供養塔があるらしい。

階段を登る。赤茶けた壁が印象に残る。

途中の標識。このあたりは間ノ山地区。金山関係者が住んでいた町がある。

無宿人供養塔の一つ。書体が面白い。

「江戸」とあるのは無宿人が江戸から連れてこられたから。治安維持の名目で幕府が無宿人を拘束し、佐渡に送り込んだらしい。

これも同じ書体。

塔婆も同じ書体。現在も同じ書体で統一されている。
なぜこの書体で統一されているのか? 調べたら面白いかも。

分岐点の標識にあった、中町、京町に向かう。

次郎町。鉱山労働者の居住地、とある。今は建物はない。なぜかお地蔵さん。

お地蔵さんの向かいの普明の鐘。「開山以来の一切諸霊の鎮魂」とある。
ついてみる。

ゴーン~~~~~~~~~~~~

あたり一帯に響き渡る。誰がついても鎮魂になるのだろうか? つく人の想いしだいか。

普明の鐘の解説。「佐渡が島」という民謡の歌詞がいい。ジンとくるものがある。

数分歩くと大工町に出る。「金銀山坑夫の町」とある。空地が目立つ。

このまま京町に行くと相棒バイクから離れすぎる。いったん戻るか。

廃屋がチラホラ。

イチジクに群がる蜂。ホバリングしている。飛ぶ蜂を撮ったのは初めて。ちょっと嬉しい。

万照寺の門。

アジのひらきも浮世の人も塩をふられて味がでる

面白い。が、確かに、とは言いにくい。自分はどうだ? 塩はたくさんふられたが、味はでたか?

万照寺脇の相川町史跡歩道マップ。相川町というのは金山遺跡のある町。まだほとんど観ていない。

先を急ごう。

相棒バイクに戻り、乗って回ることにする。徒歩だと時間がかかりすぎる。

相棒で寺町ルートを走る。

中寺町。この案内標識はいい。位置関係がよくわかる。佐渡市の世界遺産推進課が整備したもの。2017年立案の整備計画の一環だ。

坂を登る。独特の風景が広がる。ありそうで、ない風景。

登り切ってグルっと左に旋回し、しばらく山中を走る。

大工町に出る。さっき歩いてきたところ。「金穿り(きんほり)・大工が住んだ町」とある。

撮影中に出会った方。「中寺町」「大工町」などの標識をデザイン・製作したとのこと。デザイナー&製作技術者。このあたりの昔の様子を聞かせていただいた。

今は空き地が多いけど、昔は家が続いていたんだよ。

うしろの家は誰も住んでないんですよね。

ああ、そうだな。(高齢者が)亡くなって、そのままだ。

ここに住むのはたいへんですよね?

ずっと住んでるから、そうでもないよ。いいところだよ。住めば都っていうだろ。
何? 日本一周? 気をつけてな。旨いものを食べな。

ありがとうございました。お元気で。

空き地が続く。道は狭い。市街地は遠い。生活には不便だ。
景観を守るために古い木造住宅に住む。それは辛い。
子供たちは出ていく。親だけが残る。
世界遺産になれば補助金は増えるだろう。だが制約も増える。いいのか悪いのか?

京町に向かう。

途中の休憩所から道遊の割戸が見える

相棒とのツーショット。なかなか絵になる。

新五郎町。町を開いた人の名が付いている。付近一帯に人の名が付いた町がたくさんある。

この家は昭和時代の家をリニューアルしたもの。観光客向け。家の中が見られる。

昭和だ。

建物全体。二軒長屋。

隣の家。向かって左は無人。右には住人あり。

右側の家。撮影していたら住人の女性(高齢者)が出てきて、いろいろ説明していただいた。

主観的内容が多いため割愛。

確かなのは80歳を超える女性がここで一人暮らしをしているということ。車などの移動手段を持たないので買い出しだけでも苦労する。でも、子供たちに戻ってこいとは言えない、とおっしゃる。元気なうちはいいけれど、、、

向かいにある相川拘置支所。

門が開いている。中の見学OK。

建物を入ったところ。

鉄扉の向こうが拘置エリア。

支所長室。

錆びた金庫の存在感がすごい。

坂道に沿って建てられた台形の家。中の床はどうなっているのだろう? 部屋ごとに段々になっているのだろうか?

京町に出る。

京風の家。連子窓が粋だ。

時鐘楼(じしょうろう)。時鐘(じしょう)とは、時(とき)を知らせる鐘。

埼玉県川越市の時鐘は「時の鐘(ときのかね)」と呼ばれている。「時の鐘(ときのかね)」という呼称は川越だけらしい。一般的に使うものだと思っていた。

時鐘楼とのツーショット。

坂を下る。

印象的なレンガ塀が出現。

佐渡版画村美術館。

この向かいが佐渡奉行所跡。

奉行所の建物が復元されている。

奉行所前の堀。左手は奉行家族の住まいがあった場所。家族が奉行所の中を通らずに出入りができるよう、橋が架かっている。

陽がだいぶ傾いた。北沢地区に急ごう。

500mほど坂を下ると北沢地区。

北沢浮遊選鉱場跡(きたざわ ふゆう せんこうば あと)。

浮遊選鉱という技術で鉱物(金など)を分離する施設だ。鉱物を含んだ土を油が混ざった水に入れて混ぜる。すると水に溶ける土は下に沈み、溶けない鉱物は油とくっついて浮いてくる、という仕組みだ。金だけでなく、さまざまな鉱物が分離されるのだろう。

レンガの建物は、火力発電所・発電機室棟。

斜面をうまく利用している。巨大だ。

パノラマで撮ってみた。歪んでいるが本当はまっすぐ。

向かって右側。廃墟感がすごい。

丸いのはタンクか。ツタのコントラストがいい。

向かって左側。構造体の間から後ろが見える。この廃墟感。ツタもいい味を出している。
下部手前に設置されている黒いものはライト。夜になるとライトアップされる。

解説図。ここまでの写真は右上の建物。

左上の建物はこれ ↓

旧北沢青化・浮選鉱所。

50mシックナー。泥状の鉱石と水を分離する建造物。

鋳造工場跡に残るキューポラ。キューポラは鉄を溶かす装置。溶銑炉、溶解炉。

北沢地区は見ごたえがあった。私的廃墟トップ10に入る。

日が暮れてきた。宿へ帰ろう。

高台からの風景。
ブルーとオレンジの絶妙なハーモニー。
30分ほど夢中でシャッターを切り続けた。

日没寸前。オレンジが朱に変わる。最後の輝き。

【本日の計画変更】
佐渡がこんなに見どころ満載とは思わなった。不勉強の至り。
2日ほど滞在を伸ばすことに決め、同じ宿に延泊の手配。
帰りのフェーリーは予約していないので無問題。

明日は、金山関連遺跡群で残りの一つ、大間港跡を見に行く。
面白そうな予感がする。楽しみだ。

9月11日(火)89日め 笹川集落(砂金遺跡)と宿根木

朝からいい天気。佐渡島の南側半分をグルっと一周しようと思う。

昨夜泊まったのは真野というところ。下のマップで赤丸あたり。

西が真野湾。昨日、見学した酒蔵の銘柄は真野鶴。

真野湾沿いを走ろうと思い、港に出る。

トンビがいる。

何か食べている。

あっ! 獲物をつかんで飛び去った。魚のようだ。

朝の空気が気持ちいい。漁船とのツーショット。

トンビが悠々と飛んでいる。いいなあ。あんな風に飛びたい。

真野湾沿いを走る。広々として気持ちいい。

パノラマで撮ってみた。

丘陵地帯を走る。

青空と海と稲。

稲と海と青空。

湾の近くまで行ってみる。行き止まり。眼下に海が見える。

しばらく走り、佐渡西三川ゴールドパークに着く。

ここは砂金取り体験ができる施設だ。受付のおねーさんに周囲に遺跡があるかを尋ねるとマップをくれた。

笹川見どころマップ。このエリアを笹川集落と呼ぶらしい。笹川集落は砂金山に関連する遺跡などがある村だ。マイナーなので素朴でいいかもしれない。

よし、このマップに従って観ていこう。

おねーさんから教えられた道を走り、笹川集落に着く。

このあたりだ。

マップの裏側。詳細な説明がある。

上(02)から下(11)に向かって順に観ていくことにする。
※「02」「11」はマップ上の番号。

01と02は別の道なので、01は後回し。

02 大山祗(おおやまずみ)神社。

鳥居の左手に能舞台がある。

能舞台の正面。こんな山村に能舞台とは驚いた。昭和20年代まで能が演じられていた、と資料にある。

老朽化が激しい。このままで遺跡として維持できるのか?

すぐ近くに、03 金子勘三郎家。砂金山の名主(なぬし)の家。

江戸時代後期の建築、とある。

道からの風景。家の裏側だ。

庭に入り、表に回る。

手前の建物。

奥の建物。

どちらも老朽化が激しい。このままで遺跡として継続できるのか?

04 銀山役所跡・金山役宅跡。何もない。

05 井ノ上沢(いのかみさわ)。

諏訪神社跡。今は水田。

棚田だ。奥に行ってみる。

ずっと上まで棚田が続いている。

06 立残山堤跡(たてのこしやまつつみあと)。何もない。

07 石積み水路跡。

石積みの上が水路だったらしい。水漏れ防止に粘土を貼っていた、と資料にある。

相棒のところで終わっているのは、道路を作ったときに壊してしまったから。道路の反対側に続きの石積みがあるのだが、草に覆われていてよくわからない。

10 旧西三川小学校笹川分校。

昭和37年の建築、平成22年まで使っていた、と資料にある。

09 阿弥陀堂(あみだどう)。小学校の裏手にある。

江戸時代前期の建物らしい。

壁に掛けられた由緒書き(ゆいしょがき)。「四国八十八ケ所霊場 第七十六番 讃岐国 金倉寺 移」と読める。

裏手。痛みが激しい。トタン板で雨をしのぐ。このままでいいのか?と思うが、いろいろ事情があるに違いない。

近くの一般住宅。小学校と同時期の建築だろう。洗濯物が干してある。
小学生のころに住んでいた家はこういう感じだった。ここに住み続けるのはたいへんだろう。

12 虎丸山

砂金山最大の稼ぎ場。砂金取りで露出した赤い山肌を見ることができる、とある。

これがその山肌。確かに茶色い。

01 立残山

最後に行ったのがここ。順序が逆!とか言わないで。

砂金山の採掘地の一つ。人力によって掘り崩された急斜面を望むことができる、とある。

それがこれ。

う~む。樹木の間からそれらしきものが見えるが、、、
豪雨で崩れた山肌と区別がつかない、、、

個人的には面白かったが、観光地としての一般受けはしないと思う。
はっきり言ってしまってごめんなさい。

海に向かって丘陵をくだる。

青い空、緑の樹木、赤いリンゴ、黄色い稲。こういう普通の風景がいい。

光を浴びながら、ゆっくりトコトコ走る。

丘陵なので樹木がなく、見通しがいい。段々畑に稲が実る。農家の人が軽トラでやってくる。相棒を止めて、すれ違うのを待つ。こんにちは~。どちらからともなく挨拶をする。こういう瞬間が大好き。

青空と田んぼの風景を楽しみながらトコトコ走る。

青空と雲と稲と名も知らぬ赤い雑草。

雑草の声が聞こえる。名前があるんだから、ちゃんと調べてね~

う~む、約束はできない。ごめんね。

海岸に出る、ちょっと手前。

青い空、白い雲、青い海、小さな白い花、緑の葉。それに錆びた鉄製の何か。色のコントラストがいい。

これからの話はこのあたり。

小木港(おぎこう)に着く。

佐渡名物、たらい舟。お客さんがいないので手持無沙汰で待つ女性陣。右端の一人が私が撮影している気配に気づいてこちらを振り向く。

手を振る。手を振り返してくれる。

相棒バイクを停め、おねーさんとお話でも、と思いながら歩いて行く。

と、観光バスがやってきた。

あっと言う間に女性陣、大いそがし。

けっこう波がある。たらいは揺れる。スリル満点。

おねーさんとのお話は諦めて、湾岸沿いを走る。

イカ釣り船。大型でカッコイイ。もっと小さいのが多い。

港を出て宿根木(しゅくねぎ)に向かう。

「←矢島経島」の標識があちこちに。ちょっと行ってみよう。

着いたときに見えた風景。たらい舟。なかなか絵になっている。

たらい舟の真ん中はガラスばり。覗くと海中が見える。

矢島経島という名前の通り、島が二つある。

熔岩が冷えて固まった島。歩道は整備されている。

赤い橋を越えると島になる。と、いきなり面白い門が、、、

自然の木を生かした造形。

通り抜けると、、、

奇抜な造りの建物。

相当な趣味人が作ったに違いない。

ところがパンフレットにも案内図にもまったく説明なし。島から戻って地元のおねーさんに尋ねたら、明治時代の政治家の別荘だったとのこと。まったく手入れがされていないので、あと何年もつのやら。ますます荒んだ廃屋になるのか、取り壊されるのか、復元されて新たな明治別荘風ホテルになるのか、興味は尽きない。

さあ、宿根木に急ごう。

宿根木の500mほど手前にある博物館。廃校になった小学校の再利用。

味のあるポスト。

入り口右上の看板?と鐘。赤い「非常通報装置設置」。このチグハグ感が面白い。

こちらは左上の看板。「ALSOK」との組み合わせがチグハグ感満載。面白い。

博物館の中。一室だけ昔の教室のまま。小学校がこうだったなあ。

隣は千石船(せんごくぶね)展示館。

正面。

千石船(弁才船)は江戸時代に米を輸送していた船。千石積めるのでこの名が付いた。
※千石:1石(いっこく)は約150キロ。150000キロ(150トン)積めることになる。
※1石:当時、1人が1年間に食べる平均的なお米の量。1石のお米が買えるお金が1両。1石のお米が収穫できる田んぼの広さが1反(たん)。その360分の1(1日)のお米が収穫できる広さが1坪。

中に入る。

正面に千石船がドン。カメラに入りきらない。

後ろ。

前。

ぐるっと回り込んだ後ろ側。

この千石船は白山丸といい、当時の工法で復元したもの。

概要説明資料。「512石積」とある。この船は小さいため、厳密には千石船ではなかったようだ。構造が同じなので千石船と呼んでいる。弁才船よりわかりやすい。

脇にかけられた梯子を登る。

梯子を登り切ったところ。後ろ側。

前側。

上下が二重構造になっている。下に降りる。

下は倉庫。後方。

前方。

船員はたったの7名前後だったらしい。それで日本海を走る。想像しただけで寒気がする。

500mほど走り、ようやく宿根木に着く。

宿根木町並み案内所。屋根の上に石。江戸時代の伝統的な材料&工法?

この前に相棒バイクを停める。

と、案内所から20歳代前半の若者が出てきて、宿根木マップを渡してくれ、何をどう見ればいいのかを案内してくれる。

なるほど。ということでさっそく町の中に。

町の入り口。

細い路地。

細い路地。

旧郵便局舎。2階のグリーンが目印だ。

家の中が見られる。有料。

入り口から覗いて、撮影。ここまでは無料。

水路に沿った細い道を進む。

有名な三角の家。

吉永小百合が写っているJR東日本のポスターが有名。

上から町並みが見える高台に登る。

笹薮を抜けると、、、

密集した住宅。西側。

北側。屋根の上に石を乗せている家がチラホラ。

見終わって、案内所の若いおにいさんとお話。

市の職員?

いや、ボランティアです。交代でやってます。せっかく来ていただいたので、よく見ていただたほうが嬉しいので。

ここには何軒あって何世帯が暮らしているんですか。

50軒ほどあるんですが、暮らしているのは27世帯です。お年寄りが亡くなったり。引っ越したり。

ここで生活するのはたいへんなんでしょうね。

そうだと思います。いろいろな制約がありますし。観光客のみなさんがいらっしゃっても収入につながる家はわずかですし。市から補助金も出ますが、維持費のごく一部ですね。

そうですよねぇ、、、

土産物屋が1軒(閉まっていた)。飲み屋のような雰囲気のお店が1軒(閉まっていた)。カフェが1軒(閉まっていた)。

見る側は、古い町並みを楽しみ、ノスタルジーに浸り、写真を撮り、ブログのネタにする。それはそれでいいのだが、、、

景観を維持しようとする側は、大きな負担を強いられる。負担に対する対価は少ない。宿根木ではゼロに近い。地方の観光地は大小の差はあれ、その構図の中にある。宿根木はその典型だと思う。

しばらく走る。

船つなぎ石。

白いのがそれ。江戸時代に船(というより舟)をつないだ石が残っている。

こっちにも3本。

ここでもたらい舟。絵になる風景。

宿に向かう。

夕日に輝く稲の束。昔は近所で見られた風景。絵になる。

佐渡は観光スポットではないところにも絵になる風景がいっぱい。

【本日の思索】
宿根木では人が住まない建物が半分近く。住まないと傷む。木造なので老朽化がはやい。維持するには費用がかかる。補助金では賄いきれない。近隣の維持をしたいと思う人たちがいろいろ奉仕をしているようだ。
町の入り口で観光客から入場料を取る、という手もあると思うが、今はしていない。案内所の前に募金箱があるだけ。案内のおにいさんが100円募金をしていると話していた。そのくらい出しますよ(出しました)。
平泉でやっていたオーナー制度という手もある。
観光客が増えて、儲かるのは運輸系(鉄道・フェリー・航空・レンタカー)と宿泊施設と観光会社。これらからお金を取る、という手もある。
どれがうまくいくかは不明だが、収入がないと維持できないのが現実だ。