2019/4/3 宿に籠って計画立案 & 南国風三輪自動車(D136)

今日は雨なので、宿に籠って今後の計画を立てることに集中しよう。

島間の移動(船&飛行機)、島の中での移動(バス&バイク&歩き)、宿(安い&立地が良い&住み心地が良い)などを組み合わせながら計画すると、思ったより時間がかかる。

結局、沖縄本島に戻るまでの10日間すべてを立案せざるを得なくなった。
どこか一つ変化するとそのあとすべてが影響を受けるし、どこかを優先して決めるとその前をうまく調整する必要があるからだ。
相棒バイクで走るときは計画はテキトーでも何とかなったが、そうはいかない。

気晴らしにコンビニに食料調達にでかけたときに見つけたのがこれ ↓

東アジアのほうでたくさん走っているような気がする。

輸入して送迎用に使っているのだろうか?

なかなか可愛いので、人気ありそう。

【本日の夕飯】

宿のポットに水とこれを入れ、鍋代わりにして温めた。
レトルトならポットさえあれば鍋はいらない。
その気になればラーメンやおでんだって作れる。
使ったあと洗うのがたいへんだから、たまにしかやらないけど。

与那国島で食べたやつよりずっと美味しかった。
200円。

8月21日(火)68日め キャンピングカーと恐山霊場と

これから1週間ほど北海道は天気が悪そうだ。残念だが早めに南下しよう。

次のターゲットを白神山地と岩木山と決める。台風が来ているので、さあどうなるか?

恐山霊場へ行きたいので、函館→(フェリー)→大間→恐山→弘前、と行くことにする。フェリー代も青森の半額だし。

0800 大沼公園を出発。

0850 函館の津軽海峡フェリーに到着。

乗船を待っていると、こんなキャンピングカーが目に入る。

でかい。家がまるごと移動する感じ。

大きいので広い道しか走れない。だから、北海道&九州ときどき四国、なのだと言う。う~む、快適だが地域限定、、、良いのか悪いのか、、、何に価値を求めるか。

フェリーに乗船したあと、入ってくる車を見ていたら、消防車が入って来た。

なぜ消防車が?と思ってよく見たら、キャンピングカー。

後ろ姿がこれ ↑

乗っている人が出てくるのを待ち、ご挨拶。服装の特徴を覚える。船内で話しかけるつもり。私より10歳ぐらい年下のご夫妻だ。

下船時に車へ移動しようとするご夫妻を発見。下船後にお話したいとお願いする。快諾していただく。やったー。

下船は車が先でバイクは最後。私は一番最後だった。待っていてくれるか不安な気持ちで探すと。あった。あの車だ!

相棒で近づくと、ご夫妻がお出迎え。ありがとうございます。感謝!

さっそくお話を伺いながら相棒と記念撮影。

ベースの車両は、消防車と同じだと言う。なるほど。シルエットがそっくり。定期健康診断の車もこんな感じだった気がする。

後ろにクロスカブが積んである。本物と偽物が鉢合わせ。さっそく並んで記念撮影。

フェイク(相棒)&ノンフェイク(積んである方)

中を拝見させていただく。

イケメンのワンちゃんがお出迎え。

運転席の後ろがリビング。

その後ろがキッチン。シンク、ガスコンロ、電子レンジ。自宅はいらないですね。

美人の奥さんとマニアの旦那さん、ありがとうございました。これからも仲良くキャンプ生活を楽しんでくださいね。

大間港を出て恐山に向かう。

と、こんな風景が目に飛び込む。

船の残骸がたくさん放置?されている。敷地の中に入ると、、、

船の残骸と残骸と残骸。

向かいの飲食店にお聞きしたら、中古船の買い取り、修理、リサイクル販売をしている企業のものだと言う。車と同じだ。

恐山に急ぐ。

だいぶ近づいたころ、恐山冷水が現れる。

飲んでみる。

冷たくて美味しい。

恐山霊場に入る手前に、恐山霊場展望台に行く道がある。行ってみよう。

恐山霊場展望台にはこんな案内が ↓

実物はこう ↓

案内図の「恐山」は恐山霊場のこと。湖の隣にある。山の恐山は宇曽利山湖(うそりさんこ)を囲む外輪山の総称。

少し進んで、むつ湾展望台。そこからの眺めがこれ ↓

左やや上に太平洋。右に陸奥湾。両方が同時に見えるとは思わなかった。素晴らしい。

さて、恐山霊場に急ごう。ビュンビュン走る。

と、あと9kmというところに花に囲まれた不思議ハウスが。

なぜパンダ? 変なポーズしてるし。

左上には鮭を咥えた熊、右にはカブトムシ。

ムササビも飛んでるし、、、

「不思議ハウス」と記念撮影。

ようやく恐山霊場の入り口に到着。

木彫りの額を支える金具との間に布団(クッション)まである。ここ路上。これ標識。場違いな贅沢。いやな予感がしてきた。このパターンはロクなことがない。

少し進むと硫黄の匂いが。

源泉が近いのか。

少し進むと、、、

三途の川。一瞬にして興ざめ。低俗な風景。

こんなものを平気で設置する感性。せっかく来たのに残念。いやな予感がしたんだよなあ。

でもまあ、せっかくだから。ということで門の前まで行く。

禁止の札が立ち並ぶ。そんなにドローンが飛ぶ? そんなに皆がポケモンアプリをやる?

正面からの風景。ここから見るだけで十分。

なぜこんなに派手な風車が?

昔の門を移設したのだとのこと。門の向こうは硫黄で荒れた土地。

さて弘前に向かおう。

途中の道の駅でトイレ休憩。するとこんな若者と遭遇。

17歳。高3。しばらく東北をツーリングだと。おいおい、受験勉強しなくていいのか。

だいじょうぶ。進路はもう決まってる。イケメンは余裕ったっぷり。

それならOK。ということで例によって2+2の記念撮影。

やさおとこ系のイケメン。この対照的な感じがいいでしょ。

同じ道の駅にいたキャンピングカー。私と同じぐらいの年齢のご夫婦だ。

こっちも似たような年齢の男性。日本各地のステッカーがGOOD.

この車、フェラーリだったのか(笑)

室内を拝見。収納方法が秀逸。手を伸ばせば何でも取り出せる。効率的。参考になるなあ。

【今日のデータ】

豪華なキャンピングカー&廃船&陸奥湾の風景&不思議ハウス&俗物的宗教&やさおとこなイケメン&小さなキャンピングカー:変化に富んだ一日、第一位

【今日の妄想】

優しくて美しい女神が現れて「あなたの相棒と豪華なキャンピングカーの好きな方と交換してあげましょう。もちろん新品よ」とおっしゃる。

女神様、交換したあとの転売はOKですか?

それは禁止ね。

じゃあ、相棒と同じものをすぐ入手するのは?

う~ん、それもダメね。カブは一生乗れないの。

が~ん。カブじゃないバイクならいいですか? もう一台持っているんですが。

まあ、それはいいわよ。

じゃあ、125CCのモンキーとか、小さいのを新しく買うのは?

もう! この話、キャンセル! あなためんどくさい!

結論:まだ当分、相棒のカブが最高だな。

6月24日(日)22日め 相馬から仙台へ:柱だけが残った家のご主人にお話を伺う

昨日のできごとで疲れたので、今日はのんびり行くことにする。

相馬の宿を出て松川浦に向かう。松川浦は相馬市の東に位置する潟湖(せきこ)だ。湾が砂州で海から隔てられたもので、海のすぐ内側に湖がある。砂州の上に道路があるので、そこを走れば海と湖を同時に見られるだろう。

田んぼの中をのんびりトコトコ走る。

こういうごく普通の平凡な田舎の風景が好きだ。

久しぶりに専属カメラマンに撮ってもらった。アングルや構図は平凡だが、シャッターのタイミングだけは抜群だ。もっとも何十枚も撮るので、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる(笑)

シラサギがあちこちにいる。10羽ぐらい見かけたうちの一番近かったやつ。

松川浦に近づくと、木の囲いがあちこちに見える。震災で流されてしまった防風林にする松の苗木を育てているのだそうだ。中を覗いてみた。

あちこちで囲いを作る工事をしている。日曜日で機械は動いていなかったが。

松川浦と海との間の道路を走る。

松川浦をバックに記念撮影。少し引き返したのでバイクの向きは反対です。細部にこだわる人に向けて念のため。

道路から望む松川浦の風景。

鵜ノ尾崎灯台が見えてきた。バイクが多い。爽快な道なので気持ちはよくわかる!

灯台手前の駐車場に入ると面白そうな人たちが話をしていた。

これは若いほうの人の。バギーを改造したとのこと。

こっちはオジサンのほうの。アメリカの警官が実際に使っていたものだと言っていたが真偽は不明。

スピーカーが付いているので、このマイクでしゃべるとあたり一帯に声が響き渡る。オイオイ、実際にやらなくてもいいよ!と制止(笑) ライトのスイッチだのいろいろ付いている。ハーレー乗りによくあるタイプなのだが、カワサキでは珍しい。

せっかく出会ったので、例によって記念撮影。3×3のスリーショットだ。

丘に登り、灯台を目指す。林&草むらを進むと灯台が顔を出した。こういう風景も大好きだ。

灯台の下にあった説明の一部。ざっくりした位置がわかる、、、 まあ、この程度でいいのは確か。

灯台から慰霊碑に向かう。立ち枯れた木の形が面白い。

海洋調査船遭難の慰霊碑だった。9名全員が38歳以下。海の男たちが今も見守っていてくれる、そんな気持ちになる。

鵜ノ尾埼灯台をあとにしてしばらく走ると松川浦漁港に出る。

みな新しい船ばかりだ。震災ですべて流されてしまったのだろう。

新しい橋。

新しい建物。

新しい建物の横で、子供たちとお爺さんが釣りをしていた。初めて来たんで何が釣れるかはわかんねぇ、とのこと。のんびりしていて、いい感じ。

漁港の外では道路や橋や堤防の工事が続いている。

ちょっと絵になる風景も。

作られたわざとらしさがない、こんな風景が大好きだ。もしかすると、おれの日本一周の旅はこんな風景を探す旅なのかもしれないな、と、ふと思った。

松川浦をあとにして仙台に向かうと、またこんな標識が。

反対側の標識はこうだ。

私の後ろ側(バイクが向いている方向)が少し高台になっているので、津波がここで止まったということなのだろう。

さらに北上したところにあった八重垣神社。鎮守の森を復活する植樹をしたことが書かれている。鎮守の森が流されてしまったということか。

神社の隣の震災被害者の供養塔。流された墓石が集められている。

さらにしばらく走るとこんな光景が目に飛び込んできた。

人影が見えたので、家屋に向かう。

家の人がいらっしゃったので挨拶して撮影の許可をいただく。

震災当時の状況をお伺いした。

地震が来たときは少し離れたところに出かけていてね。10分後には津波が来る!と思ったので、学校に子供たちを迎えにいくか、この家にいる両親のほうへ行くか迷ったんだが。子供たちは学校に任せて両親のほうへ行くことにした。結果的には家族全員助かったんだが、、、

あの当時は、会社を辞めて無農薬イチゴの栽培を始めて3年めでね。そこの家の前の畑で作ってた。3年かけてやっと完全に無農薬で作れるようになった矢先だった。

畑はもちろん全部流されて、家もこの状態。落ち込むというより、これから家族をどうするんだ、何とかしなきゃ、という気持ちだけだったね。

家は今も震災直後の状態だ。90歳になるオヤジが家を直すっていうもんだからさ、壊さずにおいてあるんだ。

今は少し離れた町に住んでる。家を直してもここに戻るのは難しいなあ。この家と道の間に家が3軒あったんだが、全部流された。道の向こう側にも家が並んでいたんだが、全部流された。もう戻ってこないだろうな。だからこの辺りは夜になるとすごく寂しい状態だ。だから住むのは難しいと思うよ。

それに子供たちは今の学校で友達ができているからなあ。今さら転校なんてなあ。戻ってもいじめられるってこともあるようだし。

おれは今は勤めていて、この畑はオヤジがやっているから手伝ってる。

言葉が出てこない。ご家族がご無事でよかったですね、というのが精いっぱいだ。

ブログをやっていることをお話して写真を撮らせていただいた。掲載許可もいただいた。一緒に記念写真というのは失礼なので、お一人と一軒だけで撮影。

いろいろお話いただいて、ありがとうございました。お父さんにもよろしくお伝えください。

この辺りには非難用の小高い丘が作られている。みな高さ9~10mぐらいだ。この辺りでは、震災のときにそのくらいの高さの丘に逃げた人たちは助かったのだそうだ。

千年希望の丘という相野釜公園に着く。

津波に流されなかった松が海岸のほうに見える。

下は公園にあった看板の一部。左上に写っているのが今も残っている松だろう。

さらに北上し、阿武隈川の河口に出る。視界が開けていい景色だ。

もう仙台までわずかだ。

【編集後記】

私にはお父さんの、家を直したい、という気持ちがとてもよくわかる。息子が建てた立派な家だ。太い柱がたくさん使われていて、しっかり丈夫に作られている。玄関を入ったところに一番太い柱がある。太さはおそらく25cmぐらい。奥の、いわゆる大黒柱の太さは2番目なのだ。おそらく20cmぐらい。そのほかの柱もみな15cmぐらいはある。

きっとお父さんにとっては自慢の息子なのだろう。津波にも流されなかったりっぱな家を建てたのだから。

お父さんの気持ちになると涙が出てくる。

たとえ直さなくても、お父さんがご存命の間は家を壊さないでほしい、そんな気持ちで一杯だ。

お名前を伺ったら快く教えていただき、ブログに書く許可もいただいたのだが。ご家族や子供たちに何か影響があるかもしれないのでやめておきます。このあたりの微妙な境界線が私にとってはとても難しい、と感じた今でした。