いわき市から原発(第二、第一)を経て相馬に向かう。あの大震災からもう7年。記憶が風化するのは早い。しかし、モノの風化は記憶より遅い。モノが語り続ける現在の現実も存在するはずだ。
「物見遊山」という言葉がある。私のはそうか? そうでないなら何なのか? 大切なのは「何がしたいのか?」ということだ。目的を明確にせよ!
難題だったが答えはシンプル。津波の被災地は今どんな様子なのか? 原発にどこまで近づけるのか? 帰宅困難地域との境界はどうなっているのか? ギリギリまで近づいたときにどんな事が起こるのか? 今の現実を知りたい。
大震災のときまったく何もしなかったという負い目がある。だってしかたないじゃないか、という言い訳もできる。人ぞれぞれ思いはある。私にとって確かなのは、ずっと気になっている、ということだ。
いわき市を出て海岸方向に走ると、道の駅よつくら港が見えた。自衛隊の車両がある。
車両の脇にバイクを停めて、自衛官とお話しする。
道の駅のイベントに加わってます。月に1回やっているみたいですが、自衛隊が連携するのは今回が初めてです。このあたりは全部流されてるから、道の駅も周りの建物もみんな新しいでしょう。あっちに地元の自衛官がいるから、詳しいことを聞いてください。
ということで地元の自衛官に話を聞く。自衛官の募集ですか?
そう、この道の駅のイベントに参加するのは初めてなんだけどね。募集しても応募者が集まらなくて。イベントで少しでも知ってもらえればと。
募集パンフレットとテッシュペーパーをもらう。
う~む、工夫のあとがよく見える。ずっと前から人集めが最大の問題だ。
テーブルを見ると、自衛隊のいろいろな写真がプリントされている缶バッチがたくさん置かれている。一ついただいていいですか。
いいですよ。これ、ぜんぶ私が作ったの、個人的に。子供たちに自衛隊を知ってもらいたい、と思って。お知り合いのお子さんにあげてください。
ありがとう、とお礼を言って、車両付近の自衛官に再び近づき、少しお話し。
私たちの所属は第6高射特科大隊です。ミサイル部隊です。
この車両は指揮所用車両です。指揮官が乗る車両です。攻撃されたときはこの中に逃げ込みます。今はハイテク機能が装備されているので、それを駆使して指揮します。
自衛隊についてはいろいろな考え方があるだろう。私とあなたでは考え方がまったく違うかもしれない。ただ、はっきりしているのは、物理的に破壊されたら終わり、ということだ(注)。人も国も。災害も戦争も。どちらも無いほうがいい。無くす努力は必要だ。だが、完全に無くせない限り、どちらにも備えが必要だ、と私は思う。
(注)これは、唯物主義者、無神論者の考え方だ。物理的に破壊されても魂は生きる、という考え方もある。私は、今のところ素粒子物理学が真実により近い考え方だ、と考えているので、必然的に唯物主義者で無神論者ということになる。ただし、共産主義者ではない。唯物主義者=共産主義者という誤解があるので念のため。
訓練はたいへんですか。
それはもう。30kgの荷物を背負って40km歩く。しかも夜間。ほとんど眠りながら歩いてる。でも、私たちは歩兵部隊じゃないから。歩兵部隊はもっと厳しい。
という感じでいろいろお話ししていただいた。きっと震災当時もいろいろたいへんだったんでしょうね。ということで例によって記念撮影。
この道の駅はいろいろな工夫をしている。
これは建物を支える柱に貼られていたもの。小学生らしい絵がほろっとさせる。
これは情報館内に貼られていたもの。最上部に「四倉小児童(小6)がおすすめする」とある。(たぶん)先生と一緒にみんなで作ったのだ。計画を立て、絵を描き、文章を考え、、、 どのくらいの時間がかかったのだろう? 作っている姿を想像すると、何とも言えない気持ちになる。少しでも四倉を盛り上げよう、という気持ちが伝わってくる。
四倉から少し走るとボロボロの土蔵が目に飛び込んできた。
家の人を見つけたのでお話を伺う。
流されなかったんですね、あの土蔵。そうとうやられてボロボロですね。
ああ、津波でボロボロになった。あっちの母屋も流されずにすんだが。
2mぐらいの波が来たので、扉も窓も家財道具も全部流されて。瓦も流された。あの色が違う瓦は流されたとこ。別ので修理した。
瓦の白っぽいところが(たぶん)流されたところ。ガラス戸、玄関ともきれいになっているが、当時はすべてが流されていたのだ。前を走る道路の隣はすぐ海岸。全部が流されなかったのは奇跡に近い。許可をいただいたので写真を掲載。
お別れするときにワンちゃんが、こいつ怪しいやつだなあ、という顔つきをして見送ってくれた。
(後編に続く)