2019/4/25 世界遺産 中城城跡に行く(D158)

今日は、瀬長島 ウミカジテラスという観光スポットに立ち寄ったあと、一気に北上して、世界遺産群の一つ中城城跡(なかぐすくじょうあと)に行く。

ウミカジテラスには、たくさんの店舗が階段状に配置されている。

どの店舗からも海が見える、というのが売り。

ウィンドサーフィンをする人たちが見える。

ちょっとお洒落な飲食店が多い。

異色感のあるバック屋さん。

ミシンがある。バック縫製用なのか? 機械感にあふれている。

面白そうなので入ってみた。

おねーさん2人がバッグを製作中。
(小声で)すみません、写真撮ってもいいですか?
(小声で)どうぞ(ニコッ)

この(ニコッ)に弱い。みな美人に見える。

店内を見て回る。

道具類が面白い。

飲食店はどうでもよいので、中城城跡に向かう。
約26km、1時間。

中城城跡(なかぐすくじょうあと)も「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つだ。

マップ左手の管理事務所でチケットを買う。入場料400円。
右端の正門近くまで電動カーで運んでくれる。さすが世界遺産。

すぐ隣の中城高原ホテル跡。
建設途中のまま工事が中断され、40年以上も放置されているらしい。
取り壊しが決まったので見られるのも今のうちだけ。

廃墟好きな私だが、こういうのはあまり好みではない。
活躍していたときのスートリーがなくては面白くない。
廃墟は諸行無常という概念とセットだから趣がある、と思う。

正門へ向かう。大きい。広角24mmでも入りきらない。

パノラマで撮ってみた。

正門から見た城郭内。中にも城郭がある。

「南の郭(かく)」から「一の郭(かく)」に向かう門。
向こうに「二の郭(かく)」に通じる門が見える。

城壁の一部が復元中。石が整然と並べられている。

「一の郭」の武者走り(むしゃばしり)に登る。

武者走りより一段高くなった胸壁(きょうへき)の角に「隅頭石(すみがしらいし)」が突き出ている。

きれいなRだ。

二の郭へ向かう。

二の郭。

二の郭の武者走りに登る。一の郭の方向を見たところ。

三の郭。
二の郭から三の郭へ通じる門はない。いったん「西の郭」へ出たあと「北の郭」へ行き、そこから階段で三の郭へ登る。

裏門から外へ出て記念運動場から三の郭の城壁を眺めたところ。

記念運動場に中城城跡の模型が設置されている。
見ごたえがある素晴らしい城郭だ。小さい城もいいが、大きい城もいい。

さて、今日はキャンプだ。
沖縄県総合運動公園オートキャンプ場へ向かう。
中城城跡から6km、10分ほど。

沖縄初キャンプ。テント設営は2回目。なんだかんだで1時間。
テーブルとイスは事務所で借りた。

さあ、シャワーを浴びてからコンビニに夕飯を買いに行こう。

【本日のデータ】
中城城跡:入場料400円
キャンプ場:1泊2日 2710円、机 500円、イス 100円
テント設営:設営マニュアルを見た回数 1回、約2分。


2019/4/24 世界遺産 斎場御嶽&玉城城跡を歩く(D157)

今日は、斎場御嶽(せーふぁうたき)と玉城城跡(たまぐすくじょうし)に行き、そこから南の海岸をグルっと回って西側の糸満市まで行く。

斎場御嶽は(せーふぁうたき)は、宿から近いので5分ほどで着く。

沖縄には首里城をはじめとした「琉球王国のグスク及び関連遺産群」が世界遺産に認定されている。斎場御嶽はその一つ。

「斎場」の読み「せーふぁ」は「最高位」という意味。
「御嶽(うたき)」は、琉球の信仰で祭祀などを行う施設。「聖地」の総称。
斎場御嶽は、琉球王国最高の聖地。

チケット300円を買い、7~8分歩くと入り口に着く。

入り口付近は良く整備されている。

歩道脇の池に咲く(たぶん)蓮の花。美しい紫色が印象的。

斎場御嶽(せーふぁうたき)の案内図。
まず、右手の砲台跡とウローカーに行ってみよう。

砲台跡。近くにもう一つある。左右の四角いのは弾薬庫。
もちろん日本軍の遺物。このエリアにたったこれだけの装備。どうやって戦う作戦だったのか。

ウローカー。
斎場御嶽に入る前に水を浴びて身を清める場所。「カー」は「ガー」と同じ意味。漢字で「川」と書く。泉・湧き水などの神聖な場所。
現在も水は枯れていない。

身を清めないまま斎場御嶽に入る。

なだらかな登り道が続く。石の部分は滑りやすい。観光客向けに左右に黒い砂袋が並べてある。

大庫理(ウフグーイ)。最初の拝所。大広間、一番座、という意味があるらしい。

寄満(ユインチ)。台所、豊穣な場所という意味。

下の二つの壺に上の岩から神聖な水がしたたり落ちる、といわれている。
しばらく見ていたら、写真の向かって左側の壺にポトンと落ちた。

(三角形の空間の向こう側が)三庫理(サングーイ)。
ここが記念撮影スポット。みんなお行儀よく順番待ちをして撮影している。

三庫理に入る。

三庫理が一番奥の拝所。中央の四角いのは香炉。

三庫理からは海が見える。
斎場御嶽で海が見えるのは(たぶん)ここだけ。特別感を醸し出す。

玉城城跡(たまぐすくじょうあと)に向かう。

カイトサーフィンをする人たち。難しそうだが面白そうだ。

玉城城跡に向かう途中、少し手前に「ミントングスク」というところがある。
立ち寄ってみた。

「グスク」は漢字で「城」と書くが、拝所のあるところという意味でも使われるようだ。ここもそう。城ではなく個人の所有地。
写真左手の階段の上が拝所らしい。

とても良く手入れがされているお庭。私が行ったときもご家族で手入れの真っ最中。
挨拶をして少しお話。去年の大型台風のあとは倒れた木々の処理がたいへんだったらしい。

この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は P1331306-1280x853.jpg です

管理運営のための寄付100円をお願いする貼り紙。
当然のことだと思う。100円では少ないと思うぐらい。

100円を入れて階段を登る。

正面が拝所。

個人が拝所を守っている。先祖代々受け継がれてきたのだろう。
ほのぼのとした温かい気持ちになった。

5分ほどで玉城城跡(たまぐすくじょうあと)に着く。

城壁を見上げる。圧倒される感覚。

階段を登る。

城壁に開いた穴が出入り口。面白いなあ。子供のころ遊んだ隠れ家みたい。

城壁の中から外を見る。ガスっているのが残念だ。

中から見た城壁。

中央部。石垣が少し残るだけ。どこにどのような建物があったのかは不明。
小さなグスクは面白い!

喜屋武岬(きやんみさき)に向かう。

岬の風景。

【本日の宿】※2019/5/5追記

糸満市。超合理的経営を模索中。スタッフはアルバイト1名。
洗濯機、簡易キッチン、冷蔵庫、レンジ付。トイレとシャワーは別々。ほぼアパート。バイクは1階の軒先に置かせていただく。

【本日のデータ】
斎場御嶽(せーふぁうたき):入場料 300円
ミントングスク:入場料 無料、管理運営寄付金 100円
玉城城跡(たまぐすくじょうあと):入場料 無料

見られる側は少しでいいからお金を取ったほうがいい、と思う。
玉城城跡も200円ぐらいは取っていいかも。

【本日のお酒】

純米酒 クラシック麹仕込み こくあがり 
小西酒造 兵庫県伊丹市

沖縄で伊丹のお酒を飲む。いいね。

2019/4/22 市場の古本屋 ウララ→軽便与那原駅舎(復刻)→ニライカナイ(D155)

今日は沖縄本島の南側の東端、南城市まで移動する。
途中でいくつか寄りたいところがあるので楽しみ。

まず、水上商店の一つ「市場の古本屋 ウララ」に行く。
きのう行ったのだが、日曜日は定休日だった。火・日が定休日。
なぜ、観光客が多い日曜日に休む?と思ったが、何か理由があるのだろう。

ここは、『蔡温の言葉』を書いた沖縄通の知人に教えていただいた。

店主の宇田智子さんの経歴が興味深い。
1980年、神奈川県生まれ→東京大学卒業→(大型書店)ジュンク堂池袋本店に勤務→同沖縄那覇店に勤務→古書店「ウララ」を開店→『那覇の市場で古本屋 ひょっこり始めた〈ウララ〉の日々』(2013年 ボーダーインク刊)を出版→第7回「(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞」を受賞。

ね。面白そうな人でしょ。
ジュンク堂って何?とか、どんな内容の本なの?とか、その賞って何?とか、何も知らなくても面白そうでしょ?

で、行ってみた。

二言三言お話。
、、、
、、、
会話が続かない。
そっけない。というのが最も妥当な表現か?
すごくシャイなのかもしれない。商売には向かないタイプ。
元日本兵の風貌だからな、とも思ったが、警戒されている感じはない。別のお客さんとの会話も似たような感じ。

完全にリサーチ不足。
まず、著作を読んで、もう少し理解してから改めて来よう。
早ければ3年後。
これでまた一つ楽しみが増えた。

会話が弾んだらツーショットを撮らせていただこう、と目論んでいたのだが、言い出せず。

ということで、ここまで写真なし。

何も買わずに帰るのもバツが悪いので、知人に薦められた書籍を買う。

『ぼくの〈那覇まち〉放浪記』新城和博著 ボーダーインク刊

知人の著書『蔡温の言葉』の担当編集者が書いた本。
表紙の写真(上)は例のジオラマ(昨日のブログ参照)。

※「新城」は地名なら「あらぐすく」だが、人名だと「しんじょう」。日本語は難しい。というより沖縄・琉球の発音が独特。

新城(しんじょう)さんのサイン本。価格は定価。
宇田さんが私を歓迎してくれた証に違いない。
3年後じゃくて、沖縄本島を離れる前に宇田さんの著書を買いに来ようかな。
もちろんサイン入りで。

次は、軽便与那原駅舎
軽便鉄道開業100周年を記念して復元された。2014年4月完成。
「軽便」とは「軽便鉄道」の略。詳しくはWikipediaで。

元々がコンクリート製。
最初は木造だったが、昭和6年にコンクリート製に建て替えられた。
それを復元したもの。

入り口。日付が重要。来訪年月日の証明。
平成最後の月。と言い出したらキリがないけど(笑)

受付。かわいい知的なお嬢さんに受付をしていただく。
それだけで好感度アップ。男はいくつになっても単純だ。

切符形入場券。
下の切り込みは改札鋏(かいさつばさみ)で自分で入れた。細かい演出がグッド。

だが、改札鋏が2つあり、切り込みの形状が異なる。
(しまった! 改札鋏の写真を撮るの忘れた)
切り込みの形は駅によって異なる。2つの改札鋏がこの駅のものなら形状が異なるのはおかしい。この駅のものなのか? 気になる。

受付のお嬢さんにお伺いしたところ、
この駅のハサミは残っていないんです。ほかの駅のハサミです。寄贈されたものを置いています(ニコッ)
とのこと。
残ってないなら仕方ないよね。その笑顔だけで十分ですよ。

駅舎の歴史。

寄贈された船の模型。電車とは無関係だが、寄贈されたので展示。
こういうの好きです。入場者のみなさん、展示理由は問い詰めないでほしい。

馬車。寄贈品。鉄道馬車ではなさそう。鉄道馬車なら前輪と後輪の左右の間隔が同じはずだが、厳密に観察しなかった。

ジオラマ。昭和6年当時の駅舎前。
街っぽく撮ってみた。メインストリートをアップで撮ったほうがよかったかも。

木造当時を描いた絵。かなりシンプルな建物だ。

なぜ、最初の木造駅舎ではなく、そのあとのコンクリート製を復元したんですか?
と、かわいい知的なお嬢さんに尋ねてみた。

お嬢さんいわく、
当時はモダンな最先端の建物でしたので。
当時、コンクリート製はこの駅だけだったんです。
他はみな木造でしたので、復元するなら当時注目を浴びたコンクリート製を、ということですね(ニコッ)

なるほど。
絵で見る限り、木造駅舎はシンプルすぎて、復元の意味がないのかもしれない。

ニライカナイへの道、の手前に展望台がある。写真左手の道を歩いていく。
ニライカナイ:異界、他界、神界、理想郷。詳しくはWikipediaで。

展望台から見るニライ橋とカナイへ橋。手前がニライ橋。向こうがカナイ橋。
ニライ橋を走るミキサー車の塗装が海とマッチしていたので入れてみた。

う~む、上の写真、今見ると、ジオラマっぽい。ミキサー車がおもちゃみたいだ。
だんだん何が現実かわからなくなってきた、、、

展望台へ向かう途中の風景。自衛隊のミサイル車とレーダー。ジオラマではない。
鉄条網の下に、ドローン飛行禁止の注意書きがある。ジオラマを作るならこれも再現したい。

草刈りをする若い自衛隊員。

正門に行ってみる。
知念分屯(ぶんとん)基地用地区。

正門警備の自衛官とお話。
分屯基地って何ですか?

分屯基地っていうのは実戦部隊がいる基地っていうこと。指揮官がいる基地は別のところにあるの。

そうなんですか。どうもありがとうございます。

戦闘になったとき、ここは攻撃されるけど、指揮官のいるところは攻撃されないんですね(と心の中でつぶやいた)

さっきの若い自衛官がずっと草刈り。
この人が戦うような事態が訪れないことを願うばかりだ。

ニライ橋を渡り、、、

カナイ橋に差し掛かる。遠く青い海が見える。

気持ちよく走り、知念岬公園に着く。

観光バスでやってきた外国人団体さん。
なぜか赤Tシャツ&赤キャップの人が多い。理由は聞きそびれた。

宿に向かう。

パラグライダーが飛んでいる。知念岬公園の方角。
海風が崖にぶつかってできる上昇気流に乗ってずっと飛んでいた。
いいなあ。頑張って今年中に飛べるようになりたい。

宿に着く。

三線(さんしん)を練習する宿泊客。
のどかな(少しぎこちない)歌声が聞こえてきた。

【本日の宿泊地】※2019/5/5追記

斎場御嶽(せーふぁうたき)の近くのペンション。久高島へ行く船のターミナルも近い。70歳前後のお母さんと娘さんとで運営。お母さんがとても親切。糸満市出身。糸満高校応援のTシャツを着ていた。
高台にあるので海がよく見える。
夕飯はベランダから海を見ながらコンビニ弁当を食べた。
朝食付き。地元の食材を使っていて美味しかった。久しぶりのまともな朝食。
2連泊の1泊目。

【本日のデータ】
軽便与那原駅舎(復元)資料館入場料:100円
受付のかわいい賢いお嬢さんの笑顔:(何度でも)無料