9月15日(土)93日め 金山遺跡を観る(2)大間港跡

雨がパラつく中、金山遺跡の最後のエリア、大間港跡に行く。

土木学会選奨土木遺産。初めて知った。

左端が大間地区。

解説に、明治20年から25年まで、5年間をかけて完成した、とある。当時は5年もかかったのだ。当時の最新技術「たたき工法」が用いられた、とある。今、どんな状態なのか、興味深々。

※たたき工法:消石灰と土砂を混ぜて水で練ったもの(コンクリートではない)と石積みを組み合わせる技術。

大間港周辺の詳細図。

大間火力発電所跡、トラス橋、クレーン台座、ローダー橋脚、防波堤(大)、防波堤(小)。見どころ満載。

火力発電所跡。外壁だけ。立入禁止の看板が目につく。
左下にリアカー(牽引方式の人力運搬車)。

火力発電所跡から海の方を見たところ。これがほぼ全体像。

リアカーの右手に下に降りる石段がある。

降り始め。上部中央の鉄骨がトラス橋。

トラス橋の解説には、鉱石をこの橋から下の小船に落下させて積み出した、とある。

階段を降りたところ。
あの鉄骨の下に小船が入ると、上から鉱石が落とされる。
合理的な設計。

防波堤(大)の上で若者が記念写真を撮りっこ中。こういう風景もいい。

たたき工法で造られた堤。なんとも美しい!

陸地側(発電所側)。石の配置と色の混ざり具合が絶妙!
これだけでも来た甲斐がある。

グルっと回り込んでトラス橋を観る。
手前にはガシッと挟んで運ぶやつ。名称不明。

トラス橋のアップ。傷みが激しい。早急な対策が必要では? 傷みすぎると世界遺産は難しい。

記念のツーショット。小雨なので色彩が冴えない。まあ、良しとしよう。自然には逆らえない。

ガシッと挟むやつ(名称不明)からクレーン台座を見る。
1つめは中央の大きいやつ。2つめは右側のやや遠いやつ。3つめは鉄骨の間から小さく見える左側のやつ。

台座の間にローダー橋脚が2つ見える。

ローダー橋は貨物を運ぶクレーンやトロッコが通った橋。
その橋脚だけが残っている。

近くで見たい。
海に突き出ているので、歩いて向かう。

取り壊された残骸がある。遺跡の一部のようだ。
何を壊したのか? なぜ壊したのか? 疑問が膨らむ。
世界遺産にしようとするなら壊しちゃだめでしょう。
しようとする前に壊しちゃったのか?

この微妙なチグハグ感。最初に大立竪坑を見たときからずっとある。
持ち主(企業)と行政がうまく嚙み合っていない感じ。

ローダー橋脚。3つが並ぶ。
橋脚だけ残して上の橋(鉄橋?)は壊したのか?

防波堤(大)。
たたき工法の石積みが美しい。
向こうには3つめの小さいクレーン台座。

この「(大)」「(小)」というのが笑える。
私なら「海側防波堤」「陸側防波堤」とか、機能がわかるネーミングにするけどなあ。

防波堤(大)の中央あたりから陸側を見る。クレーン台座とトラス橋。
台座の石積みが美しい。
たたき工法っていいですねぇ。

防波堤(大)の先端から陸側を見る。

右に見えるのが防波堤(小)。
向こうにトラス橋とクレーン台座。
が澄んでいて青い海底が見える。
絵になる風景。

とても狭い港だ。入れる船はかなり小さい。当時の規模が想像できる。

10時30分か。12時にフェリー乗り場に着けば、12:40のフェリーに乗れる。1時間半あれば行けるだろう。

よし、佐渡スカイライン経由で両津港まで突っ走ろう。

ルートはこう。☆が両津港。〇が大間港跡。

小雨がパラつく中、佐渡スカイラインを走る。思ったより急坂。路面が濡れているので滑りやすい。上りも下りも走りに集中。

景色はこんな感じ。快晴なら景色はいいはず。佐渡スカイラインの写真はこの1枚。

無事に両津港に着き、1240発フェリーで新潟に。

そこから70km、2時間ほど走り長岡の宿に到着。

【本日のデータ】
金山遺跡の5地区を堪能するなら最低2日。できれば3日を推奨。

9月12日(水)90日め 金山遺跡を観る(1)大立地区~北沢地区

今日は金山遺跡を見に行く。

江戸時代の人形がある坑道は写真などで有名だ。その外にもいろいろあるだろうとは考えていたが、半日もあれば見終わるだろう、ぐらいに思っていたのが甘かった。

金山遺跡があるのは赤丸あたり。相川(あいかわ)という地域。

真野の宿から18km、30分ほど走り、相川に着く。

現地の案内図。えっ、こんなにあるの?

地区が5つ。山のほう(東側)から、
・大立(おおだて)地区
・高任(たかとう)地区
・間ノ山(まのやま)地区
・北沢(きたざわ)地区
・大間(おおま)地区

面白い! よし! 山のほうから順に全部回ってやろうじゃないの。

ということで、まず大立地区へ。

大立竪坑(おおだて たてこう)。明治10年(1877年)完成の西洋式竪坑だ。

見上げると正面の名称が何かおかしい、、、

佐渡金
大立竪

って、なに?

右端の「山」と「坑」がないのだ。

う~む。関係者はどうした? 気づかないのか、直す気がないのか? たいして費用がかかるとは思えないが、、、

竪坑は、地表と(水平の)坑道を結ぶ垂直な坑道。上図では右端と左端にある。大立竪坑は右端のほう。
最終深度352m。巻き上げ動力は、馬→蒸気機関→電動機と変化。平成元年まで稼働していたらしい。

櫓の右側に石段がある。登ってみよう。

櫓の真ん中あたりに出る。巻き上げ動力装置などが見られるかと思ったのだが、、、
ゲートには鍵が、、、残念!

次に行こう。少し西の高任地区に向かう。

200mほど走ると大切山抗(おおぎりやまこう)。

坑道の入り口が見える。立入禁止。

江戸初期に山師(やまし、鉱山業者)の与次右衛門(よじえもん)が14年かけて400mの坑道を掘り進め、大鉱脈を発見したらしい。
空気不足を防ぐため、坑道を2本、平行に掘り、途中で数ヶ所貫通させて空気を循環させた、と解説にある。なるほど。

案内板の絵図。すぐ向こうが「青盤脈露頭堀り」というものだったらしい。

茶色の地肌が露頭堀りしたところ

穴がある。狸の穴に似ているから狸穴という。もちろん金を掘った穴だ。

垂直に切り立った山が見える。道遊の割戸(どうゆうのわりと)という。金を掘った結果、山がV字にえぐられてしまったのだ。

さらに300mほど進むと「史跡 佐渡金山」という観光スポット。

坑道に入れる。有料。株式会社 ゴールデン佐渡の運営。

坑道は、宗太夫坑(そうだゆうこう)、道遊坑(どうゆうこう)の2つ。

宗太夫坑の案内。当時の姿を伝える人形が配置されている。

道遊坑の案内。

係員の説明では、道遊坑に入ると道遊の割戸が正面から見られるとのこと。さっき見たのは裏側からだったようだ。山に表裏があるの?という気もするが、、、

坑道も含めて付近一帯がゴールデン佐渡という企業の所有らしい。坑道入り口の隣には土産物店がある。坑道に入ると最後に土産物店に出てくるという流れ。観光地によくあるパターン。

土産物店を覗いてみる。

人気No.1 小判チョコレート 埋蔵金。サンプルを食べてみる。普通のチョコレート。中から金は出てこなかった。

人気No.2 純金カステラ。表面に金粉らしき文様が、、、 カステラ自体が金ぽい。

大きさがベストマッチなのがこれ。金箔・栗ようかん。金の延棒サイズ。

小判トランプ。キングはお殿様。お正月に使うと盛り上がりそう。買いたいな、と心が動いた。

金塊型BOXティッシュ。総額約200億円。200円 × 325本 = 6万5千円で大金持ちになった気分?

気に入ったのはこれ。

宗太夫坑解説書。A5サイズ、オールカラー。

(注)写真は無断掲載。苦情が来て削除するまでの期間限定掲載。

写真と詳細な解説が40ページ。表紙は本文とは別の厚手の紙。全ページに光沢感のあるコーティングがしてある(PP加工という)。

これで100円。安い! 即、ゲット。

印刷費が100円以上かかっているはず。どう考えても赤字。補助金が出ているのかも?

ということはさておき、ここに行ったら買うのが正解。強く推奨。

読めばわかる、ということで、坑道には入らず。先に進む。

土産物店の道を挟んだ向かいにある宗太夫坑入り口。チケットを買う入り口とは別のもの。ここからは入れない。

「佐渡金銀山を世界遺産に」の旗は、佐渡市役所産業観光部の世界遺産推進課のもの。あとで知ったのだがホームページもある。

周辺案内図によると、粗砕場(そさいば)・貯鉱舎が近い。搗鉱場(とうこうば)跡もある。

300mほど走る。

粗砕場。金などの鉱石を含む土を粗く砕く施設。残念ながら敷地内は立入禁止。

貯鉱舎。砕いた土を貯めておく施設。

貯鉱舎の隣にある石積アーチ橋。写真左手。

なかなか渋い。

橋の内壁には銘板が残っている、とある。さっそく探す。

あった! これだ。

石積アーチ橋は2つある。下流の橋の上に乗り、上流の橋を撮る。
なかなか絵になっている。桜が咲くと綺麗だろう。

相棒バイクの正面に粗砕場がある。立入禁止表示の下に(株)ゴールデン佐渡とある。企業の所有物は開放が難しい。老朽化しているし。有料にして管理人を置いても、観光客が入るとは思えない。採算は合わないだろう。

道の反対側には搗鉱場(とうこうば)跡。当時の日本では最も整備された製錬所だったようだ。

この廃墟感!  いいですね。

200mほど行くと金山茶屋。

駐車場から見える道遊の割戸。V字にえぐれている。下の白いのは粗砕場の屋根。

400mほど進む。

無宿人の墓の入り口。右手の階段を登っていく。墓ではなく供養塔があるらしい。

階段を登る。赤茶けた壁が印象に残る。

途中の標識。このあたりは間ノ山地区。金山関係者が住んでいた町がある。

無宿人供養塔の一つ。書体が面白い。

「江戸」とあるのは無宿人が江戸から連れてこられたから。治安維持の名目で幕府が無宿人を拘束し、佐渡に送り込んだらしい。

これも同じ書体。

塔婆も同じ書体。現在も同じ書体で統一されている。
なぜこの書体で統一されているのか? 調べたら面白いかも。

分岐点の標識にあった、中町、京町に向かう。

次郎町。鉱山労働者の居住地、とある。今は建物はない。なぜかお地蔵さん。

お地蔵さんの向かいの普明の鐘。「開山以来の一切諸霊の鎮魂」とある。
ついてみる。

ゴーン~~~~~~~~~~~~

あたり一帯に響き渡る。誰がついても鎮魂になるのだろうか? つく人の想いしだいか。

普明の鐘の解説。「佐渡が島」という民謡の歌詞がいい。ジンとくるものがある。

数分歩くと大工町に出る。「金銀山坑夫の町」とある。空地が目立つ。

このまま京町に行くと相棒バイクから離れすぎる。いったん戻るか。

廃屋がチラホラ。

イチジクに群がる蜂。ホバリングしている。飛ぶ蜂を撮ったのは初めて。ちょっと嬉しい。

万照寺の門。

アジのひらきも浮世の人も塩をふられて味がでる

面白い。が、確かに、とは言いにくい。自分はどうだ? 塩はたくさんふられたが、味はでたか?

万照寺脇の相川町史跡歩道マップ。相川町というのは金山遺跡のある町。まだほとんど観ていない。

先を急ごう。

相棒バイクに戻り、乗って回ることにする。徒歩だと時間がかかりすぎる。

相棒で寺町ルートを走る。

中寺町。この案内標識はいい。位置関係がよくわかる。佐渡市の世界遺産推進課が整備したもの。2017年立案の整備計画の一環だ。

坂を登る。独特の風景が広がる。ありそうで、ない風景。

登り切ってグルっと左に旋回し、しばらく山中を走る。

大工町に出る。さっき歩いてきたところ。「金穿り(きんほり)・大工が住んだ町」とある。

撮影中に出会った方。「中寺町」「大工町」などの標識をデザイン・製作したとのこと。デザイナー&製作技術者。このあたりの昔の様子を聞かせていただいた。

今は空き地が多いけど、昔は家が続いていたんだよ。

うしろの家は誰も住んでないんですよね。

ああ、そうだな。(高齢者が)亡くなって、そのままだ。

ここに住むのはたいへんですよね?

ずっと住んでるから、そうでもないよ。いいところだよ。住めば都っていうだろ。
何? 日本一周? 気をつけてな。旨いものを食べな。

ありがとうございました。お元気で。

空き地が続く。道は狭い。市街地は遠い。生活には不便だ。
景観を守るために古い木造住宅に住む。それは辛い。
子供たちは出ていく。親だけが残る。
世界遺産になれば補助金は増えるだろう。だが制約も増える。いいのか悪いのか?

京町に向かう。

途中の休憩所から道遊の割戸が見える

相棒とのツーショット。なかなか絵になる。

新五郎町。町を開いた人の名が付いている。付近一帯に人の名が付いた町がたくさんある。

この家は昭和時代の家をリニューアルしたもの。観光客向け。家の中が見られる。

昭和だ。

建物全体。二軒長屋。

隣の家。向かって左は無人。右には住人あり。

右側の家。撮影していたら住人の女性(高齢者)が出てきて、いろいろ説明していただいた。

主観的内容が多いため割愛。

確かなのは80歳を超える女性がここで一人暮らしをしているということ。車などの移動手段を持たないので買い出しだけでも苦労する。でも、子供たちに戻ってこいとは言えない、とおっしゃる。元気なうちはいいけれど、、、

向かいにある相川拘置支所。

門が開いている。中の見学OK。

建物を入ったところ。

鉄扉の向こうが拘置エリア。

支所長室。

錆びた金庫の存在感がすごい。

坂道に沿って建てられた台形の家。中の床はどうなっているのだろう? 部屋ごとに段々になっているのだろうか?

京町に出る。

京風の家。連子窓が粋だ。

時鐘楼(じしょうろう)。時鐘(じしょう)とは、時(とき)を知らせる鐘。

埼玉県川越市の時鐘は「時の鐘(ときのかね)」と呼ばれている。「時の鐘(ときのかね)」という呼称は川越だけらしい。一般的に使うものだと思っていた。

時鐘楼とのツーショット。

坂を下る。

印象的なレンガ塀が出現。

佐渡版画村美術館。

この向かいが佐渡奉行所跡。

奉行所の建物が復元されている。

奉行所前の堀。左手は奉行家族の住まいがあった場所。家族が奉行所の中を通らずに出入りができるよう、橋が架かっている。

陽がだいぶ傾いた。北沢地区に急ごう。

500mほど坂を下ると北沢地区。

北沢浮遊選鉱場跡(きたざわ ふゆう せんこうば あと)。

浮遊選鉱という技術で鉱物(金など)を分離する施設だ。鉱物を含んだ土を油が混ざった水に入れて混ぜる。すると水に溶ける土は下に沈み、溶けない鉱物は油とくっついて浮いてくる、という仕組みだ。金だけでなく、さまざまな鉱物が分離されるのだろう。

レンガの建物は、火力発電所・発電機室棟。

斜面をうまく利用している。巨大だ。

パノラマで撮ってみた。歪んでいるが本当はまっすぐ。

向かって右側。廃墟感がすごい。

丸いのはタンクか。ツタのコントラストがいい。

向かって左側。構造体の間から後ろが見える。この廃墟感。ツタもいい味を出している。
下部手前に設置されている黒いものはライト。夜になるとライトアップされる。

解説図。ここまでの写真は右上の建物。

左上の建物はこれ ↓

旧北沢青化・浮選鉱所。

50mシックナー。泥状の鉱石と水を分離する建造物。

鋳造工場跡に残るキューポラ。キューポラは鉄を溶かす装置。溶銑炉、溶解炉。

北沢地区は見ごたえがあった。私的廃墟トップ10に入る。

日が暮れてきた。宿へ帰ろう。

高台からの風景。
ブルーとオレンジの絶妙なハーモニー。
30分ほど夢中でシャッターを切り続けた。

日没寸前。オレンジが朱に変わる。最後の輝き。

【本日の計画変更】
佐渡がこんなに見どころ満載とは思わなった。不勉強の至り。
2日ほど滞在を伸ばすことに決め、同じ宿に延泊の手配。
帰りのフェーリーは予約していないので無問題。

明日は、金山関連遺跡群で残りの一つ、大間港跡を見に行く。
面白そうな予感がする。楽しみだ。

9月11日(火)89日め 笹川集落(砂金遺跡)と宿根木

朝からいい天気。佐渡島の南側半分をグルっと一周しようと思う。

昨夜泊まったのは真野というところ。下のマップで赤丸あたり。

西が真野湾。昨日、見学した酒蔵の銘柄は真野鶴。

真野湾沿いを走ろうと思い、港に出る。

トンビがいる。

何か食べている。

あっ! 獲物をつかんで飛び去った。魚のようだ。

朝の空気が気持ちいい。漁船とのツーショット。

トンビが悠々と飛んでいる。いいなあ。あんな風に飛びたい。

真野湾沿いを走る。広々として気持ちいい。

パノラマで撮ってみた。

丘陵地帯を走る。

青空と海と稲。

稲と海と青空。

湾の近くまで行ってみる。行き止まり。眼下に海が見える。

しばらく走り、佐渡西三川ゴールドパークに着く。

ここは砂金取り体験ができる施設だ。受付のおねーさんに周囲に遺跡があるかを尋ねるとマップをくれた。

笹川見どころマップ。このエリアを笹川集落と呼ぶらしい。笹川集落は砂金山に関連する遺跡などがある村だ。マイナーなので素朴でいいかもしれない。

よし、このマップに従って観ていこう。

おねーさんから教えられた道を走り、笹川集落に着く。

このあたりだ。

マップの裏側。詳細な説明がある。

上(02)から下(11)に向かって順に観ていくことにする。
※「02」「11」はマップ上の番号。

01と02は別の道なので、01は後回し。

02 大山祗(おおやまずみ)神社。

鳥居の左手に能舞台がある。

能舞台の正面。こんな山村に能舞台とは驚いた。昭和20年代まで能が演じられていた、と資料にある。

老朽化が激しい。このままで遺跡として維持できるのか?

すぐ近くに、03 金子勘三郎家。砂金山の名主(なぬし)の家。

江戸時代後期の建築、とある。

道からの風景。家の裏側だ。

庭に入り、表に回る。

手前の建物。

奥の建物。

どちらも老朽化が激しい。このままで遺跡として継続できるのか?

04 銀山役所跡・金山役宅跡。何もない。

05 井ノ上沢(いのかみさわ)。

諏訪神社跡。今は水田。

棚田だ。奥に行ってみる。

ずっと上まで棚田が続いている。

06 立残山堤跡(たてのこしやまつつみあと)。何もない。

07 石積み水路跡。

石積みの上が水路だったらしい。水漏れ防止に粘土を貼っていた、と資料にある。

相棒のところで終わっているのは、道路を作ったときに壊してしまったから。道路の反対側に続きの石積みがあるのだが、草に覆われていてよくわからない。

10 旧西三川小学校笹川分校。

昭和37年の建築、平成22年まで使っていた、と資料にある。

09 阿弥陀堂(あみだどう)。小学校の裏手にある。

江戸時代前期の建物らしい。

壁に掛けられた由緒書き(ゆいしょがき)。「四国八十八ケ所霊場 第七十六番 讃岐国 金倉寺 移」と読める。

裏手。痛みが激しい。トタン板で雨をしのぐ。このままでいいのか?と思うが、いろいろ事情があるに違いない。

近くの一般住宅。小学校と同時期の建築だろう。洗濯物が干してある。
小学生のころに住んでいた家はこういう感じだった。ここに住み続けるのはたいへんだろう。

12 虎丸山

砂金山最大の稼ぎ場。砂金取りで露出した赤い山肌を見ることができる、とある。

これがその山肌。確かに茶色い。

01 立残山

最後に行ったのがここ。順序が逆!とか言わないで。

砂金山の採掘地の一つ。人力によって掘り崩された急斜面を望むことができる、とある。

それがこれ。

う~む。樹木の間からそれらしきものが見えるが、、、
豪雨で崩れた山肌と区別がつかない、、、

個人的には面白かったが、観光地としての一般受けはしないと思う。
はっきり言ってしまってごめんなさい。

海に向かって丘陵をくだる。

青い空、緑の樹木、赤いリンゴ、黄色い稲。こういう普通の風景がいい。

光を浴びながら、ゆっくりトコトコ走る。

丘陵なので樹木がなく、見通しがいい。段々畑に稲が実る。農家の人が軽トラでやってくる。相棒を止めて、すれ違うのを待つ。こんにちは~。どちらからともなく挨拶をする。こういう瞬間が大好き。

青空と田んぼの風景を楽しみながらトコトコ走る。

青空と雲と稲と名も知らぬ赤い雑草。

雑草の声が聞こえる。名前があるんだから、ちゃんと調べてね~

う~む、約束はできない。ごめんね。

海岸に出る、ちょっと手前。

青い空、白い雲、青い海、小さな白い花、緑の葉。それに錆びた鉄製の何か。色のコントラストがいい。

これからの話はこのあたり。

小木港(おぎこう)に着く。

佐渡名物、たらい舟。お客さんがいないので手持無沙汰で待つ女性陣。右端の一人が私が撮影している気配に気づいてこちらを振り向く。

手を振る。手を振り返してくれる。

相棒バイクを停め、おねーさんとお話でも、と思いながら歩いて行く。

と、観光バスがやってきた。

あっと言う間に女性陣、大いそがし。

けっこう波がある。たらいは揺れる。スリル満点。

おねーさんとのお話は諦めて、湾岸沿いを走る。

イカ釣り船。大型でカッコイイ。もっと小さいのが多い。

港を出て宿根木(しゅくねぎ)に向かう。

「←矢島経島」の標識があちこちに。ちょっと行ってみよう。

着いたときに見えた風景。たらい舟。なかなか絵になっている。

たらい舟の真ん中はガラスばり。覗くと海中が見える。

矢島経島という名前の通り、島が二つある。

熔岩が冷えて固まった島。歩道は整備されている。

赤い橋を越えると島になる。と、いきなり面白い門が、、、

自然の木を生かした造形。

通り抜けると、、、

奇抜な造りの建物。

相当な趣味人が作ったに違いない。

ところがパンフレットにも案内図にもまったく説明なし。島から戻って地元のおねーさんに尋ねたら、明治時代の政治家の別荘だったとのこと。まったく手入れがされていないので、あと何年もつのやら。ますます荒んだ廃屋になるのか、取り壊されるのか、復元されて新たな明治別荘風ホテルになるのか、興味は尽きない。

さあ、宿根木に急ごう。

宿根木の500mほど手前にある博物館。廃校になった小学校の再利用。

味のあるポスト。

入り口右上の看板?と鐘。赤い「非常通報装置設置」。このチグハグ感が面白い。

こちらは左上の看板。「ALSOK」との組み合わせがチグハグ感満載。面白い。

博物館の中。一室だけ昔の教室のまま。小学校がこうだったなあ。

隣は千石船(せんごくぶね)展示館。

正面。

千石船(弁才船)は江戸時代に米を輸送していた船。千石積めるのでこの名が付いた。
※千石:1石(いっこく)は約150キロ。150000キロ(150トン)積めることになる。
※1石:当時、1人が1年間に食べる平均的なお米の量。1石のお米が買えるお金が1両。1石のお米が収穫できる田んぼの広さが1反(たん)。その360分の1(1日)のお米が収穫できる広さが1坪。

中に入る。

正面に千石船がドン。カメラに入りきらない。

後ろ。

前。

ぐるっと回り込んだ後ろ側。

この千石船は白山丸といい、当時の工法で復元したもの。

概要説明資料。「512石積」とある。この船は小さいため、厳密には千石船ではなかったようだ。構造が同じなので千石船と呼んでいる。弁才船よりわかりやすい。

脇にかけられた梯子を登る。

梯子を登り切ったところ。後ろ側。

前側。

上下が二重構造になっている。下に降りる。

下は倉庫。後方。

前方。

船員はたったの7名前後だったらしい。それで日本海を走る。想像しただけで寒気がする。

500mほど走り、ようやく宿根木に着く。

宿根木町並み案内所。屋根の上に石。江戸時代の伝統的な材料&工法?

この前に相棒バイクを停める。

と、案内所から20歳代前半の若者が出てきて、宿根木マップを渡してくれ、何をどう見ればいいのかを案内してくれる。

なるほど。ということでさっそく町の中に。

町の入り口。

細い路地。

細い路地。

旧郵便局舎。2階のグリーンが目印だ。

家の中が見られる。有料。

入り口から覗いて、撮影。ここまでは無料。

水路に沿った細い道を進む。

有名な三角の家。

吉永小百合が写っているJR東日本のポスターが有名。

上から町並みが見える高台に登る。

笹薮を抜けると、、、

密集した住宅。西側。

北側。屋根の上に石を乗せている家がチラホラ。

見終わって、案内所の若いおにいさんとお話。

市の職員?

いや、ボランティアです。交代でやってます。せっかく来ていただいたので、よく見ていただたほうが嬉しいので。

ここには何軒あって何世帯が暮らしているんですか。

50軒ほどあるんですが、暮らしているのは27世帯です。お年寄りが亡くなったり。引っ越したり。

ここで生活するのはたいへんなんでしょうね。

そうだと思います。いろいろな制約がありますし。観光客のみなさんがいらっしゃっても収入につながる家はわずかですし。市から補助金も出ますが、維持費のごく一部ですね。

そうですよねぇ、、、

土産物屋が1軒(閉まっていた)。飲み屋のような雰囲気のお店が1軒(閉まっていた)。カフェが1軒(閉まっていた)。

見る側は、古い町並みを楽しみ、ノスタルジーに浸り、写真を撮り、ブログのネタにする。それはそれでいいのだが、、、

景観を維持しようとする側は、大きな負担を強いられる。負担に対する対価は少ない。宿根木ではゼロに近い。地方の観光地は大小の差はあれ、その構図の中にある。宿根木はその典型だと思う。

しばらく走る。

船つなぎ石。

白いのがそれ。江戸時代に船(というより舟)をつないだ石が残っている。

こっちにも3本。

ここでもたらい舟。絵になる風景。

宿に向かう。

夕日に輝く稲の束。昔は近所で見られた風景。絵になる。

佐渡は観光スポットではないところにも絵になる風景がいっぱい。

【本日の思索】
宿根木では人が住まない建物が半分近く。住まないと傷む。木造なので老朽化がはやい。維持するには費用がかかる。補助金では賄いきれない。近隣の維持をしたいと思う人たちがいろいろ奉仕をしているようだ。
町の入り口で観光客から入場料を取る、という手もあると思うが、今はしていない。案内所の前に募金箱があるだけ。案内のおにいさんが100円募金をしていると話していた。そのくらい出しますよ(出しました)。
平泉でやっていたオーナー制度という手もある。
観光客が増えて、儲かるのは運輸系(鉄道・フェリー・航空・レンタカー)と宿泊施設と観光会社。これらからお金を取る、という手もある。
どれがうまくいくかは不明だが、収入がないと維持できないのが現実だ。