2021/10/12 備中松山城を観に行く(D331)

今日は、現存12天守の一つ、備中松山城を観に行く。
倉敷からは40km、1時間ほどだ。

0730 起床。
シャワーを浴びたあと、ドリップコーヒーを入れて朝食。

昨日、美観地区のお店で買った清水屋「岡山 生クリームぱん」210円を食べる。
パンというよりスイーツ。皮は酒饅頭のようにフワフワ。生クリームロールケーキみたいな食べ心地。

0930 宿を出発。

高梁川(たかはしがわ)に沿って、堤防の上の道を走る。
堤防の上の道は見晴らしが良く、大好きだ。

1050 鞴(ふいご)峠の駐車場に着く。ここから歩いて城に向かう。

案内所兼売店兼休憩所。

備中松山城 登城絵図をいただく。
「天守が現存する唯一の山城」とある。「山城」がどんなものか楽しみだ。

1115 登城開始。20分ほどで城に着く。
城が建つ山は臥牛山(がぎゅうざん)という。
だから、登城=登山だ。

山道を登る。

石垣が見えてきた。中太鼓の丸跡と呼ばれるところだ。
石垣の上に登ってみた。

高梁(たかはし)市の町が見下ろせる。

さらに登る。

大手門、三の丸の石垣が見えてきた。
高札がある。

登城心得
よくぞまいられた 城主

歓迎してくれるのは嬉しいのだが、、、
「心得」ではないと思う、、、(笑)

大手門跡。

大きな岩の間に小さな石を詰めて平にし、その上に石垣を築いている。
組み合わせ方が絶妙で面白い。

三の丸に向かう。白い土塀が目立つ。

白い土塀が続く。

土塀の一部は岩の上に建てられている。白と緑のコントラストがいい。

この写真をよく見ると、壁にわずかな段差があることに気づく。
この土塀はほとんどが江戸時代のものだが、一部は復元されている。
その境目が壁の段差だ。
向こう側が復元。手前側が江戸時代のもの。

段差の正面から撮影。
向かって右の丸瓦が江戸時代のもの、左が復元後のもの。
苔の付き方が違う。
でも、もっと明確に違う部分がある。さて、それはどこでしょう?

ここです ↓

江戸時代のほう。

復元したほう。
留め方が違いますね。
なぜ同じにしなかったのだろう? やろうと思えばできたはずなのに。

三の丸。

厩(うまや)曲輪(くるわ)。
大手門跡から見えていた土塀はこれ。

土塀矢間狙ってみた鉄砲なら当たりそうな気がする。

こちらからも狙う。
はい、命中!

二の丸の石垣。
角石の上の方は尖っているのに下の方は丸まっているのが面白い。

二の丸に上がったところ。
案内板の後ろの大きな石が目立つ。
石を鑑賞するには案内板が邪魔ですね。別のところに立ててほしかったなあ。

二の丸にある解説板。近づくと案内の音声が流れる。

音声案内装置。センサーで人を感知しているようだ。

二の丸から城下を見下ろす。天守以外で城下が見えるのはここだけ。

大河ドラマに!運動がここでも。
土佐清水では「ジョン万を大河ドラマに!」だった。
全国で何人・何カ所が立候補しているのだろう?
すべて集めて比較して、「〇〇を大河ドラマに! ランキング」を作ったら面白そう。

二の丸から天守を望む。
手前の建物は、五の平櫓(向かって右)、六の平櫓(左)。どちらも復元。

この土塀も復元。時間をかけて調査研究し、精度高く復元してある。

本丸へ向かう。正面左側が料金所。500円。

パンフレットの詳細マップ。文字が小さくて読みにくいが役に立つ。

本丸南御門の正面に天守が見える。

本丸に入ったところ。手前は六の平櫓。

六の平櫓の中。しっかりと復元されている。
梁に仕上げのノミのあとがはっきり見えるのがいいね。

四隅の造りもきちんと復元。いいね。

本丸東御門(復元)
扉ではなく引き戸なのが面白い。左手に石段があるので扉がじゃまにならないようにするためか? 板が薄いので攻撃には弱そうだが、、、

あちこちに秋明菊(シュウメイギク)が咲いている。
この城では赤だけが咲くらしい。亡くなった武士たちの血の色だとか、、、
血の色にしてはピンクなのだが、、、(笑)

天守。
岩の上に石垣を造り、その上に建ててある。いかにも山城。
二層構造。向かって左の部分は1階ではなく接続(つなぎ)廊下。

単純な四角形ではなく凸形。

接続廊下に入る。
奥にある階段から一階に登る。

一階。二重になっている梁が面白い。

梁の曲線が並ぶ。美しい。

側面。四角形の穴は囲炉裏。籠城戦で使うらしい。

正面。
格子を▢ではなく◇になるよう設置している。視野を広くするのが目的らしい。
光の入り方が独特で美しい。

接木された柱。平成13年~15年の大修理の跡。

二階への階段。L字になっている。

上から見下ろすとこんな感じ。お城のL字階段は珍しい。あまり見たことがない。

二階。意外と広い。

正面に神棚がある。とても珍しい。
「神棚があるお城」で検索したら松本城と備中松山城が出てきた。少なくとも2つはあることになる。

柱と梁の組み合わせが美しい。備中松山城独特の構造だ(たぶん)

湾曲した梁が並ぶ。独特のリズム感だ。

角は3本の柱で支える構造。

見晴らしは悪い。城下が少し見えるだけ。

修理のときに交換した部材。これは妻飾り。蕪懸魚(かぶらげぎょ)という形式。

これは唐破風(からはふ)の一部。

それぞれ赤丸の部分。上が 蕪懸魚(かぶらげぎょ) 、下が唐破風(からはふ)。

天守を出て二重櫓に向かう。
江戸時代の建築物なので天守と並んで重要な存在。

天守の後ろに回り込むと二重櫓の正面に出る。
扉は鉄製。

天守の方へ戻る途中の土塀。
丸瓦を留める部分が面白い。

真上からのアップ。ヘヘ型に溝が掘ってある。何のためだろう?

二の丸まで降り、二層櫓が建つ石垣に向かう。

本丸の石垣。
土塀の曲線に圧倒される。石垣の一部は岩の上に乗っている。

回り込むと、石垣の下部はほぼ岩だ。

二重櫓の石垣はすべて岩の上に乗っている。
山城ならではの迫力だ。

岩と石垣の境界部。
岩の上に石を水平に置き、それで上の石を支えているのがわかる。

アップで見ると、すごい迫力だ。

場内で見つけた注意看板。火もマムシもノーサンキュー。

さあ、下城しよう。

登城心得
本日の登城 大儀であった  城主

ねぎらいの言葉は嬉しいが、「心得」ではないと思うが、、、
「登城」ではなく「下城」だし、、、(笑)

登城とは異なる道で下城してみた。

下城途中の風景。こちらの道は距離は長いがなだらか。見晴らしもいい。

1530 鞴(ふいご)峠の駐車場に戻る。

さあ、備中松山城展望台に行ってみよう。
山をグルっと回り込んで隣の尾根まで行く。10km、20分ほど。

途中で見つけた看板と記念撮影。この時刻では雲海は無理だけど。

道端の駐車スペースから展望台まで徒歩1分。この階段を登ったところだ。

展望台から備中松山城を見る。
確かに天空の山城だ。

雲海を見るなら11月下旬。前日に雨が降り、翌日は晴れて冷え込んだ朝がベスト。
コツは、高梁(たかはし)市内に宿泊。夜明け前にいったん起床。霧が出ているかを確認する。
霧が出ていれば、それが雲海だから、急いで展望所に行けばいい。
霧が出ていないときは残念。行っても無駄。また寝ましょう。

■本日のデータ
備中松山城 天守への入場料:500円。シニア割引なし。

■本日の宿
昨日と同じ倉敷の宿。3泊目。

2021/10/09 丸亀城(現存12天守)を観る(D328)

今日は丸亀城に行く。
現存12天守の一つだ。見逃してはなるまい。
前回はうっかり素通りしてしまった (-_-;) 笑

0700 起床。昨日のブログを書く。

0730 朝食。

0800 ブログの続きを書く。

0940 ブログ終了。公開。

1015 宿を出発。

1110 丸亀城に到着。リュックに必要なものを入れ、城を歩く準備。
隣では小学校の運動会の真っ最中。どうやら先生と6年生の対抗戦が始まったようだ。
「先生頑張れ! 無理しない程度にもっと頑張ってくださ~い!!!」

1150 ガマンできずに行ってみる。

先生+生徒会チームと6年生チームの対抗綱引き、
いいね!
運動会ができるって素晴らしいことを再認識。ちょっと感激。

城の正面に回る。
左から、大手二の門、大手一の門、天守閣。
すべて江戸時代のものだ。

大手二の門。
二つの門のうち、外側にあるのを二の門と呼ぶのが面白い。

門扉が素晴らしい。年季が入る、という言葉があるが、まさにそれ。

「木と青銅」と「光と影」と。

矢狭間(やざま)も美しい。

大手一の門。

こちらは門構えが重厚で素晴らしい。
上部には石落としがある。

ここまで書いたところで、藤井聡太3冠が竜王戦第1局に勝利とのニュースが。
やった! 凄い!
昨日(1日目)は豊島将之竜王が優勢だったようだが、今日(2日目)になって逆転勝ちということか。
竜王戦は7局なので先は長い。が、勝つ可能性がじわっと高くなった。
家にいるときは藤井聡太3冠の対局後にはいつもYouTubeの解説動画を見ている。
「アユム」さんと「観る将」さんの解説がわかりやすくて好きだ。

門の内側の梁。
細い方(木材の先端側)は下に短い木材を添えた二重構造になっている。面白い。

反対側。太い梁の曲がり具合が面白い。

大手一の門を入ったところに観光案内所&トイレがある。
立ち寄ってお話を伺うと案内絵図をくださった。

よくできている。わかりやすい。
石垣満喫ルートという緑のラインに沿って行くことにする。

見返り坂という長い坂を上り切ったところ。名のとおりに振り返ってみた。

扇の勾配、と呼ばれる石垣。上部はほぼ垂直。

高浜虚子の句碑。
稲むしろあり 飯の山あり 昔 今

「飯の山」とは「飯野山」(いいのやま)のこと。讃岐富士とも呼ばれる。

これが讃岐富士。
石垣と相似形。山頂付近のカーブの具合までそっくり(笑)

三ノ丸東石垣。
上部の白っぽい石は修理の際に新しい石と交換したもの。下部の黒ずんだ石と違いがはっきりとわかる。面白い。

三の丸から二の丸に向かう途中にあった写楽。
もうチョットで天守じゃァ、と言っている。
夜は内側に灯りがともり、絵が浮かびあがる仕組み。

二の丸に向かう。左右の白いのは灯り。

竹の中に灯りがともると、穴から光が漏れて絵が浮かびあがる仕組み。
絵は、アマビエ、讃岐富士、土器川(どきがわ)かな。
「MT.422」は讃岐富士の高さ。形が良くて低いので、登山者には人気らしい。

二の丸。可愛いピンクの花が咲いている。名称不明。

二の丸からの風景。

遠く瀬戸大橋が見える。

大手門側。石垣の上に手すりがない。ギリギリまで寄ってみた。

反対側には天守がそびえる。
ここから見る天守が正面になる。シンプルなあっさりした造りだ。
丸亀城があまり有名じゃないのは、小さくて見栄えがしないからだろう。

石垣と木の根の現代アート。本丸に向かう途中で見つけた。

本丸に着く。ここからの天守は後ろ側からの眺め。

いよいよ中に入る。
コロナで閉まっていたが、マンボウ解除を受けて10月1日から再開している。

受付の上を見よ。「燧梁(ひうちばり)」という造りの梁だ。

別の隅をアップで。

当時の築城技術をダイレクトに見られる。これが現存天守の醍醐味。
外側を観るよりも内部を見るのが楽しい。

1階全体。天守を支える柱たち。太い柱ではなく、数で勝負する構造。

2階へ登る階段。この急角度がいい。年季が入って美しい。

背面の傷み具合が泣かせる。よう頑張っとるのお。

2階に登る。

壁の漆喰を分厚くしてある。太鼓壁(たいこかべ)という。

2階の四隅も 燧梁(ひうちばり) 構造。

3階を支える2階の梁たち。頑張っとるのお。

3階を支える2階の柱たち。この3本セットが四方にある。美しい構造だ。

3階へ登る階段。

手すりの木目が美しい。

3階。2本の柱が天井を支える。

天井を支える柱と梁たち。かなり複雑な構造だ。
何度も言うが、これが見られるのが現存天守の醍醐味。

下界を見下ろす。
町の向こうに海、そして本州の山々が見える。
今日もわが領民たちはよく働いているのお。

外に出る。

改めて天守を見上げる。

グルっと回り込む。石垣の存在感がすごい。

平成30年に崩落した石垣を修理中。崩落の原因は長雨と台風。

三の丸へ降りる。

搦手門(からめてもん)へ向かう途中の風景。

ピンク&グリーンの組み合わせがいいね。
特にグリーンを透ける光の束と石垣との組み合わせがグッド。

石垣修理の現場。

番号の付いた石が整然と並ぶ。

H-5-11という石。
石を割るときに打ち込んだクサビの跡(矢穴という)がはっきりわかる。

さあ、ここで石垣クイズ。
この石は重さが第3位の石です。いったい何トンあるでしょうか。
(答えはPR館にあります。)

軽自動車4台ぶん(650Kg×4)ぐらいかな。
とすると2.5トンぐらい、と見当をつける。

すぐ後ろが石垣復旧PR館。
積みなおしでござる! という絵がいいね。

中に入る。中央に石垣修理の解説ボードがある。
さあ、重さは2.5トンか? 正解やいかに?

3位 3.61トン (旧チャンピオン)BC角22

残念! 軽自動車5.5台ぶんかあ。思ったより重い。

1630 丸亀城は十分に堪能。さあ、高松の宿に向かおう。

宿まで数キロのところで出会った風景。「山」の字を絵に描いたよう。素晴らしい。
この中のどれかが讃岐七富士の一つ 六ツ目山(御厩富士:みまやふじ)だと思う。
最後に素晴らしい風景に出会えた。感謝!

■本日のデータ
丸亀城天守入場料:200円

■本日の宿
昨日と同じ。2泊目。