今日は金山遺跡を見に行く。
江戸時代の人形がある坑道は写真などで有名だ。その外にもいろいろあるだろうとは考えていたが、半日もあれば見終わるだろう、ぐらいに思っていたのが甘かった。
金山遺跡があるのは赤丸あたり。相川(あいかわ)という地域。
真野の宿から18km、30分ほど走り、相川に着く。
現地の案内図。えっ、こんなにあるの?
地区が5つ。山のほう(東側)から、
・大立(おおだて)地区
・高任(たかとう)地区
・間ノ山(まのやま)地区
・北沢(きたざわ)地区
・大間(おおま)地区
面白い! よし! 山のほうから順に全部回ってやろうじゃないの。
ということで、まず大立地区へ。
大立竪坑(おおだて たてこう)。明治10年(1877年)完成の西洋式竪坑だ。
見上げると正面の名称が何かおかしい、、、
佐渡金
大立竪
って、なに?
右端の「山」と「坑」がないのだ。
う~む。関係者はどうした? 気づかないのか、直す気がないのか? たいして費用がかかるとは思えないが、、、
竪坑は、地表と(水平の)坑道を結ぶ垂直な坑道。上図では右端と左端にある。大立竪坑は右端のほう。
最終深度352m。巻き上げ動力は、馬→蒸気機関→電動機と変化。平成元年まで稼働していたらしい。
櫓の右側に石段がある。登ってみよう。
櫓の真ん中あたりに出る。巻き上げ動力装置などが見られるかと思ったのだが、、、
ゲートには鍵が、、、残念!
次に行こう。少し西の高任地区に向かう。
200mほど走ると大切山抗(おおぎりやまこう)。
坑道の入り口が見える。立入禁止。
江戸初期に山師(やまし、鉱山業者)の与次右衛門(よじえもん)が14年かけて400mの坑道を掘り進め、大鉱脈を発見したらしい。
空気不足を防ぐため、坑道を2本、平行に掘り、途中で数ヶ所貫通させて空気を循環させた、と解説にある。なるほど。
案内板の絵図。すぐ向こうが「青盤脈露頭堀り」というものだったらしい。
茶色の地肌が露頭堀りしたところ。
穴がある。狸の穴に似ているから狸穴という。もちろん金を掘った穴だ。
垂直に切り立った山が見える。道遊の割戸(どうゆうのわりと)という。金を掘った結果、山がV字にえぐられてしまったのだ。
さらに300mほど進むと「史跡 佐渡金山」という観光スポット。
坑道に入れる。有料。株式会社 ゴールデン佐渡の運営。
坑道は、宗太夫坑(そうだゆうこう)、道遊坑(どうゆうこう)の2つ。
宗太夫坑の案内。当時の姿を伝える人形が配置されている。
道遊坑の案内。
係員の説明では、道遊坑に入ると道遊の割戸が正面から見られるとのこと。さっき見たのは裏側からだったようだ。山に表裏があるの?という気もするが、、、
坑道も含めて付近一帯がゴールデン佐渡という企業の所有らしい。坑道入り口の隣には土産物店がある。坑道に入ると最後に土産物店に出てくるという流れ。観光地によくあるパターン。
土産物店を覗いてみる。
人気No.1 小判チョコレート 埋蔵金。サンプルを食べてみる。普通のチョコレート。中から金は出てこなかった。
人気No.2 純金カステラ。表面に金粉らしき文様が、、、 カステラ自体が金ぽい。
大きさがベストマッチなのがこれ。金箔・栗ようかん。金の延棒サイズ。
小判トランプ。キングはお殿様。お正月に使うと盛り上がりそう。買いたいな、と心が動いた。
金塊型BOXティッシュ。総額約200億円。200円 × 325本 = 6万5千円で大金持ちになった気分?
気に入ったのはこれ。
宗太夫坑の解説書。A5サイズ、オールカラー。
(注)写真は無断掲載。苦情が来て削除するまでの期間限定掲載。
写真と詳細な解説が40ページ。表紙は本文とは別の厚手の紙。全ページに光沢感のあるコーティングがしてある(PP加工という)。
これで100円。安い! 即、ゲット。
印刷費が100円以上かかっているはず。どう考えても赤字。補助金が出ているのかも?
ということはさておき、ここに行ったら買うのが正解。強く推奨。
読めばわかる、ということで、坑道には入らず。先に進む。
土産物店の道を挟んだ向かいにある宗太夫坑入り口。チケットを買う入り口とは別のもの。ここからは入れない。
「佐渡金銀山を世界遺産に」の旗は、佐渡市役所産業観光部の世界遺産推進課のもの。あとで知ったのだがホームページもある。
周辺案内図によると、粗砕場(そさいば)・貯鉱舎が近い。搗鉱場(とうこうば)跡もある。
300mほど走る。
粗砕場。金などの鉱石を含む土を粗く砕く施設。残念ながら敷地内は立入禁止。
貯鉱舎。砕いた土を貯めておく施設。
貯鉱舎の隣にある石積アーチ橋。写真左手。
なかなか渋い。
橋の内壁には銘板が残っている、とある。さっそく探す。
あった! これだ。
石積アーチ橋は2つある。下流の橋の上に乗り、上流の橋を撮る。
なかなか絵になっている。桜が咲くと綺麗だろう。
相棒バイクの正面に粗砕場がある。立入禁止表示の下に(株)ゴールデン佐渡とある。企業の所有物は開放が難しい。老朽化しているし。有料にして管理人を置いても、観光客が入るとは思えない。採算は合わないだろう。
道の反対側には搗鉱場(とうこうば)跡。当時の日本では最も整備された製錬所だったようだ。
この廃墟感! いいですね。
200mほど行くと金山茶屋。
駐車場から見える道遊の割戸。V字にえぐれている。下の白いのは粗砕場の屋根。
400mほど進む。
無宿人の墓の入り口。右手の階段を登っていく。墓ではなく供養塔があるらしい。
階段を登る。赤茶けた壁が印象に残る。
途中の標識。このあたりは間ノ山地区。金山関係者が住んでいた町がある。
無宿人供養塔の一つ。書体が面白い。
「江戸」とあるのは無宿人が江戸から連れてこられたから。治安維持の名目で幕府が無宿人を拘束し、佐渡に送り込んだらしい。
これも同じ書体。
塔婆も同じ書体。現在も同じ書体で統一されている。
なぜこの書体で統一されているのか? 調べたら面白いかも。
分岐点の標識にあった、中町、京町に向かう。
次郎町。鉱山労働者の居住地、とある。今は建物はない。なぜかお地蔵さん。
お地蔵さんの向かいの普明の鐘。「開山以来の一切諸霊の鎮魂」とある。
ついてみる。
ゴーン~~~~~~~~~~~~
あたり一帯に響き渡る。誰がついても鎮魂になるのだろうか? つく人の想いしだいか。
普明の鐘の解説。「佐渡が島」という民謡の歌詞がいい。ジンとくるものがある。
数分歩くと大工町に出る。「金銀山坑夫の町」とある。空地が目立つ。
このまま京町に行くと相棒バイクから離れすぎる。いったん戻るか。
廃屋がチラホラ。
イチジクに群がる蜂。ホバリングしている。飛ぶ蜂を撮ったのは初めて。ちょっと嬉しい。
万照寺の門。
アジのひらきも浮世の人も塩をふられて味がでる
面白い。が、確かに、とは言いにくい。自分はどうだ? 塩はたくさんふられたが、味はでたか?
万照寺脇の相川町史跡歩道マップ。相川町というのは金山遺跡のある町。まだほとんど観ていない。
先を急ごう。
相棒バイクに戻り、乗って回ることにする。徒歩だと時間がかかりすぎる。
相棒で寺町ルートを走る。
中寺町。この案内標識はいい。位置関係がよくわかる。佐渡市の世界遺産推進課が整備したもの。2017年立案の整備計画の一環だ。
坂を登る。独特の風景が広がる。ありそうで、ない風景。
登り切ってグルっと左に旋回し、しばらく山中を走る。
大工町に出る。さっき歩いてきたところ。「金穿り(きんほり)・大工が住んだ町」とある。
撮影中に出会った方。「中寺町」「大工町」などの標識をデザイン・製作したとのこと。デザイナー&製作技術者。このあたりの昔の様子を聞かせていただいた。
今は空き地が多いけど、昔は家が続いていたんだよ。
うしろの家は誰も住んでないんですよね。
ああ、そうだな。(高齢者が)亡くなって、そのままだ。
ここに住むのはたいへんですよね?
ずっと住んでるから、そうでもないよ。いいところだよ。住めば都っていうだろ。
何? 日本一周? 気をつけてな。旨いものを食べな。
ありがとうございました。お元気で。
空き地が続く。道は狭い。市街地は遠い。生活には不便だ。
景観を守るために古い木造住宅に住む。それは辛い。
子供たちは出ていく。親だけが残る。
世界遺産になれば補助金は増えるだろう。だが制約も増える。いいのか悪いのか?
京町に向かう。
途中の休憩所から道遊の割戸が見える。
相棒とのツーショット。なかなか絵になる。
新五郎町。町を開いた人の名が付いている。付近一帯に人の名が付いた町がたくさんある。
この家は昭和時代の家をリニューアルしたもの。観光客向け。家の中が見られる。
昭和だ。
建物全体。二軒長屋。
隣の家。向かって左は無人。右には住人あり。
右側の家。撮影していたら住人の女性(高齢者)が出てきて、いろいろ説明していただいた。
主観的内容が多いため割愛。
確かなのは80歳を超える女性がここで一人暮らしをしているということ。車などの移動手段を持たないので買い出しだけでも苦労する。でも、子供たちに戻ってこいとは言えない、とおっしゃる。元気なうちはいいけれど、、、
向かいにある相川拘置支所。
門が開いている。中の見学OK。
建物を入ったところ。
鉄扉の向こうが拘置エリア。
支所長室。
錆びた金庫の存在感がすごい。
坂道に沿って建てられた台形の家。中の床はどうなっているのだろう? 部屋ごとに段々になっているのだろうか?
京町に出る。
京風の家。連子窓が粋だ。
時鐘楼(じしょうろう)。時鐘(じしょう)とは、時(とき)を知らせる鐘。
埼玉県川越市の時鐘は「時の鐘(ときのかね)」と呼ばれている。「時の鐘(ときのかね)」という呼称は川越だけらしい。一般的に使うものだと思っていた。
時鐘楼とのツーショット。
坂を下る。
印象的なレンガ塀が出現。
佐渡版画村美術館。
この向かいが佐渡奉行所跡。
奉行所の建物が復元されている。
奉行所前の堀。左手は奉行家族の住まいがあった場所。家族が奉行所の中を通らずに出入りができるよう、橋が架かっている。
陽がだいぶ傾いた。北沢地区に急ごう。
500mほど坂を下ると北沢地区。
北沢浮遊選鉱場跡(きたざわ ふゆう せんこうば あと)。
浮遊選鉱という技術で鉱物(金など)を分離する施設だ。鉱物を含んだ土を油が混ざった水に入れて混ぜる。すると水に溶ける土は下に沈み、溶けない鉱物は油とくっついて浮いてくる、という仕組みだ。金だけでなく、さまざまな鉱物が分離されるのだろう。
レンガの建物は、火力発電所・発電機室棟。
斜面をうまく利用している。巨大だ。
パノラマで撮ってみた。歪んでいるが本当はまっすぐ。
向かって右側。廃墟感がすごい。
丸いのはタンクか。ツタのコントラストがいい。
向かって左側。構造体の間から後ろが見える。この廃墟感。ツタもいい味を出している。
下部手前に設置されている黒いものはライト。夜になるとライトアップされる。
解説図。ここまでの写真は右上の建物。
左上の建物はこれ ↓
旧北沢青化・浮選鉱所。
50mシックナー。泥状の鉱石と水を分離する建造物。
鋳造工場跡に残るキューポラ。キューポラは鉄を溶かす装置。溶銑炉、溶解炉。
北沢地区は見ごたえがあった。私的廃墟トップ10に入る。
日が暮れてきた。宿へ帰ろう。
高台からの風景。
ブルーとオレンジの絶妙なハーモニー。
30分ほど夢中でシャッターを切り続けた。
日没寸前。オレンジが朱に変わる。最後の輝き。
【本日の計画変更】
佐渡がこんなに見どころ満載とは思わなった。不勉強の至り。
2日ほど滞在を伸ばすことに決め、同じ宿に延泊の手配。
帰りのフェーリーは予約していないので無問題。
明日は、金山関連遺跡群で残りの一つ、大間港跡を見に行く。
面白そうな予感がする。楽しみだ。