2021/09/01 桂浜を歩く(D314)

目が覚めたら9時。
ダラダラとコーヒーを沸かし、パンの朝食。
少し疲れている感じ。
こんなときは頑張らないと決めている。
高知では3日ほどゆっくりするつもりなので無問題。

1200 宿を出発。桂浜へ向かう。

1230 桂浜の少し西、花街道の高知海岸に着く。
駐車場に相棒バイクを停め、歩いて散策。

「高知海岸に上陸するアカウミガメについて」という案内がある。
ウミガメがここに上陸・産卵するとは知らなかった。

毎年、何カ所に産卵したかのグラフ。
2010~2014が多いのはなぜだろう?

う~ん、ウミガメDBは産卵個所、ウミガメ情報は上陸頭数、比較ができない。
34頭が多いのか少ないのか?
上陸数を知らせるのは何のため?
情報の位置づけがわからないと表示する効果がない。
この情報があること自体は素晴らしいと思う。
もう少し読む人の知識を考慮した内容にすると、もっといいと思う。

急にまじめモードに突入してしまった。
いけない、いけない。リラックス、リラックス。

海岸を眺めて落ち着こう。

海岸から突き出ているコンクリート製人工物。
防波堤?
船着き場じゃないのは明らか。

反対側。ずっと向こうまでたくさんの突き出たものがある。
櫛型防波堤? なぜ、こうしたものを作った? 興味が出てきた。

海岸の道を挟んだ反対側。
道沿いに花が植えられている。だから花街道?

少し歩くとこんなものが、、、

太陽と月の台場。

中央にあるオブジェ。
太陽が反射して輝くワンポイントになってます。いいね。

う~ん、なぜ、ここに「 太陽と月の台場」というエリアが?
桂浜が月の名所(※)だから?
じゃあ、太陽は?
ナゾはつきない。

※月がよく見えるのは桂浜に限らない。名所になるのは文人がそう言ったから。

歩道に沿って、長宗我部(ちょうそかべ)ステージという案内板がある。
高知の領主は、江戸時代になってからは山内一豊(やまのうちかずとよ)だが、それ以前は長宗我部。その歴史を紹介している。いいね。
勝者だけにフォーカスせず、敗者を含めた歴史全体を伝えるというのは大切。

それにしても長宗我部一族、なぜ徳川につかなかったのか?
あれだけ豊臣秀吉にこき使われたのに、、、
もし、関ヶ原の合戦で徳川についていたら、土佐はずっと長宗我部が領主だっただろう。
そうしたら、山内一豊はここの領主になることはなく、高知城は存在せず、桂浜に長宗我部の城が残っていただろう。

などということはさておき。
桂浜に向かう。

桂浜入口。
相棒バイクで行けば桂浜がすぐ見えると思っていたら大誤算。
林を抜けていくのか。

林を抜けると眼下に浜が見えてきた。

はい、これが桂浜です。
何やら工事中。人はまばら。

浜へ向かう途中に、田中桃葉(発音不明、とうよう? ももは?)の石碑が。
こんな人、まったく知らない。
のだが、説明書きが面白かった。

「(略)その反骨の筆づかいとともに昭和初期の洛陽の紙価を高らしめた。(略)」

「洛陽(らくよう)の紙価(しか)を髙らしめた」(※)だって。
意味がわかる人は少ないのでは。
こんな表現をする案内板に初めて出会った。面白い!
誰が書いたものなのか、興味が出てきた。

※洛陽の紙価を高らしめる:洛陽は昔の中国の都。そこで読み物が人気になると、どんどん売れて、紙が足らなくなり、値段が上がる。そんなバカ売れするほどの大人気ということ。

竜馬像の後ろ姿が見えてきた。
でかい!
左下の人の大きさと比較してみて。

前の写真に写っていた人と記念写真を撮りあう。
あっ、すみません。マスク外してもう一枚。
で、2枚目がこれ。

それにしても、龍馬像、でかいの一言。
こんなにでかくする必要ある?
見上げさせよう、という魂胆か。
龍馬の夢より大きい像を!
龍馬崇拝者の想いの表現。
なのか???

桂浜に向かう。

桂浜。
向こうの建物はなに?

桂浜水族館。
えっ、ここにこれ必要? 桂浜の景観ぶち壊し!なんですけど。

隣では何やら新規建設中。

注文者の氏名:高知市長 岡崎誠也
つまり、水族館を増設中なの?
う~む、いやな感じ。コロナ禍で観光客が来ないときに工事しちゃおう。
桂浜の景観なんか関係ないし、ニュースになるのはコロナだし。
今ならどさくさに紛れて造れるぞ、なんて思ってませんか? 市長さん。
まあ、予算執行は市議会なので議員が認めればオーケー。
部外者があれこれ言うんじゃない、と言われればそれまで。
誰がどこでどう儲けているのか知らないけど、こんなの続いていいのだろうか、、、

龍王岬に向かう。
赤い神社と白い橋が目立つ。

龍宮橋。
みんな「龍宮〇〇」って名前をつけるの、好きだよね。
龍宮城も乙姫様も、男たちは大好き。

海津見(わたつみ)神社。別名、龍王宮(りゅうおうぐう)
「海」は「わた」と読むのだ。
「わたつみ」は「海神」「綿津見」とも書き、日本神話の海の神のこと。
日本にはいろいろなところに神がいて、八百万(やおよろず)の神と言う。
この自然を崇める感覚、大好き。
一神教の神(人間が創り出した支配のための偶像)とは違う、心広い感覚がいい。

龍王宮の手前にあった表示。
ここを中心とした世界主要都市の方角が記されている。
室戸岬、東京、大阪、ニューヨーク、ワシントン、ロンドン、パリ、モスクワ、ソウル、、、、

ここまではわかる。

「S」のすぐ左に「キャンベラ CANBERRA 約7,800km」とある。
なぜ、キャンベラ? こことどんな関係? 姉妹都市?
どこに行っても謎は尽きない。

早高神社(はやたかじんじゃ)
龍王宮より少し上にある。

早高神社から龍宮王を見下ろす。
なぜ、龍宮王を見下ろす位置にこの神社が???
ナゾは謎を呼ぶ。

早高神社から見る桂浜。
うしろを小高い樹木で囲われているのが良くわかる。
こんな狭いところの浜だから、いい感じなんだね。
広い浜もいいけど、狭い浜も好き。という感覚。

ここで月を見ながら酒を呑む。
こりゃ、たまらんわ。

などという妄想は終わりにして、龍馬記念館に向かう。

駐車場に着く。
すると目の前に、、、

浦戸城天守跡。
浦戸城は長宗我部のお城。

城跡なので何もない。
四角はコンクリート製なので城とは関係ない。
解説板に、11m×15mほどの台形の土地、とある。
確かに台形だ。
それにしても小さな天守だ。

斜面に石が並ぶ。天守の石垣の名残り。
徳川方、山内一豊の高知城は残っても、長宗我部の城は残らない。
残るのは台地と石だけ。
敗者に残るものは本当に少ない。

龍馬記念館。
近代的なガラス張り。いいね。

ハンドシェイクぜよ!! の竜馬像が手袋。

コロナ禍でハンドシェイクはご法度。
龍馬も脱藩して耐えたじゃけぇ、わしらも耐えるぜよ!

せめて外観だけでもと、グルっと回り込む。
いいね。このデザイン。
海へ突き出す造形とガラス張りの外壁。
まさに龍馬そのものぜよ!
こんなデザインできるって、建築家は誰? すごいなぁ!

くじら日時計。
龍馬記念館のすぐ前にある。

くじら日時計とは何か、の解説版。
普通の日時計だと正確な時刻を知るにはいろいろな補正をしないとダメなので、超難しいんだけど、くじら日時計なら「アナレンマ」という投影体の影ができるので、それで正確な時刻がわかるんだよ、ということ。

アナレンマの読み方(影の位置)の解説。
フムフム。今は8月だから、陰の東側を読めばいいわけね。

で、陰を読んでみた。

影は14:27~28。
左下の腕時計。およそ14:27。
ぴったしカンカン。これは凄い!

アナレンマ をアップで。
このボウリングのピンのような独特の形状が正確な時刻を示すということですね。
夏は太陽が高いので上の方の細い部分が影になる。
冬は太陽が低いので下の方の太い部分が影になる。
冬は影の幅が広いのでどちら側が時刻を示すのかを知っててね、と言うわけ。
この形状を、いつ、誰が、どのように設計したのだろう? 興味は尽きない。

記念館のガラスに周囲の景色が反射する。
いいデザインですねぇ。

見る位置が変わると写る風景が変わる。
桂浜の空と海と杜が映る。素晴らしい!

高知灯台。
桂浜のすぐ近く。
真上に輝く太陽で、灯台が灯ったようになっていました。

桂浜をあとにして、高知市街の宿へ向かう。

途中、高知市を展望できるという五台山展望台に立ち寄る。

相棒バイクを停め、展望台に向かうと、、、

地質調査のボーリング。

あそこが展望台だが、隣のビルは休業中。
シャッターが閉まっていて入れない。

で、ビルの周囲をグルっと回る。
と、階段の入り口がある。

おお、ここから展望台に登れそうだ。

階段を登る途中。施設閉鎖のお知らせ。
コロナ禍の影響なのか、もっと前から営業不振なのか???

なお、階段を登ると、、、

頭上注意のオンパレード。
そんなに大勢がぶつけたの?

やっと屋上。
こればいい。市中が目の前に広がる。

鏡川に浮かぶ島?

向こうの白いのは鏡川大橋。
川の中に浮かぶのは丸山台。

展望台の手摺りをロックした鍵と鍵!

こちらにも鍵と鍵!

鎖にも、鍵と鍵と鍵と鍵。意味不明。

不思議な展望台をあとして、次は、、、

地球33番地。
写真の上方、銀色の玉がそこ。
東経133度33分33秒北緯33度33分33秒、の場所。
3が12も並ぶ世界的にも数少ない場所、らしい。
どのくらい希少価値があるかはわからないが、1並びとか2並びとかあるので、10カ所ぐらいはありそう。
海の上とか砂漠の真ん中だと行けないが、ここには来られた。もしかして超レア?

地球33番地は川の真ん中なのだ。

場所を示すモニュメント。

見上げてみた。
絵柄が平凡。ちょっとガッカリ。

見下ろしてみた。
内容が平凡。さらにガッカリ。
地球33番地、という発想をする人たちなら、もう一つ新しい着想が欲しかった。

って、何を好き勝手、言ってんじゃねーよ。
という声が聞こえます。

そりゃ、まあ、そうなんですけどね。
ついつい期待してしまいました。ゴメンナサイ。

■本日のお酒

原酒という記載はないが、アルコール分18%はほぼ原酒。
純米&生&原酒&あまり精米していない(吟醸の逆)&安い、が私の理想。

■本日のまとめ
公共施設は軒並み閉館。
桂浜は狭い。
龍馬記念館のデザインは素晴らしい。
くじら日時計は超頭がいい人が考えたもの(と思う)
五台山展望台の眺めはいい。
どこに行っても謎なものは多い。
地球33番地、発想は面白いが、煮詰め切れていないのが残念。

■本日の宿
昨日と同じ。2泊目。

2021/08/26 宇和島から足摺岬へ(D308)

今日は宇和島から足摺岬の宿まで行く。
120キロほどあるので、できるだけ早く出発しよう。

0400 起床。ブログ書き。昨日の分を出発前に終了するのだ。

書きながらコーヒーを飲み、瀬戸内レモンタルトを食べる。

0700 ブログ終了。出発準備。

0900 宿を出発。

少し走ると、こんな看板が、、、

初恋の味、カツ丼弁当
バイカル湖より深い味‥‥唐揚げ弁当

どんな味だろう? ひと口ずつ食べてみたい。
などと考えながら走っていると、ランボルギーニがずらりと並ぶお店が出現。
お店の人にお願いして写真を撮らせていただく。

その中の1枚がこれ ⇩

向かって左、濃い緑色の車が、ランボルギーニ ミウラ。
一般的にはカウンタックが有名だが、名車と言えばミウラだ。

あの~、いくらするんですか?

3億。

さ、3億!

じゃあ、あっちのは?

あれは安いよ。1千万。

確かに安い!
のか?

宇和島・南予(なんよ)のPR誌に ❝津島町岩松 小西本家離れ座敷「色ガラスの家 再生」❞という記事が載っていた。

夜は美しそうだが、昼間でも色ガラスの家が見られたら楽しい。
立ち寄っていこう。

と、岩松の小西本家に向かう。

小西本家到着。
真新しい雨戸が閉まっている。残念。

説明板の最下部に「岩松の町並み」という記載がある。
よし、せっかくなので、観てみよう。

確かに、古い町並みがある。
ほとんどの家に説明板はない。すべて詳細不明。
まあ、ご覧ください。

川の対岸からの風景もどうぞ。

町の駐車場の壁に描かれていた絵が面白かった。
ご覧ください。

ね。なかなかでしょ。
作風が同じなので同一作者のものだと思われるが、制作者未確認。

「古い町並み」エリアでいつも遭遇するものがある。
また遭遇した。

う~ん、お金がないよ。どうしたもんかなぁ。
日本全国どこへ行っても「古い町並み」エリアが抱える悩みはこれです。
(あくまで個人の推測です)

観るのは楽しい。
住むのはつらい。
観ると住むの落差が大きい。

足摺岬へ向かう。

何かの養殖をしている。何の養殖だろう?

港に行ってみた。
答えが落ちていた。

は~い、牡蠣だと思います。
正解。

愛南町(あいなんちょう)に紫電改(しでんかい)(※)の展示場があるという。
ずいぶんマニアックな展示場だ。ゼロ戦ではなく紫電改とは。
なぜ紫電改? なぜ愛南町?
謎だ。
※紫電改:太平洋戦争末期の戦闘機。昔、『紫電改のタカ』(ちばてつや、全6巻)という漫画を読んだ記憶がある。コミックではなく漫画と言っていた時代の作品だ。

ということで立ち寄ることにした。
行けば謎が解けるだろう。

足摺岬へのルートから少しそれて紫電改展示館に着く。

向こうの塔は、宇和海(うわかい)展望タワー。
相棒バイクを停め、歩いてタワーに向かう。

展望デッキが昇降するタイプだ。いいね。
で、入ろうとすると、、、

運行中止。う~む、耐震基準の問題かぁ。

トボトボと展示館に戻り、中に入る。
入場無料。いいね。
愛媛県か愛南町の税金で運営されているのかな。ありがとうございます。

曲がった4枚のプロペラが目を引く。
4枚というのも紫電改の特徴だ。ゼロ戦は3枚。
胴体下の写真は、この機体を含めて帰還しなかった6機のパイロットたち。

20ミリ機関砲。左右に2挺ずつ、計4挺あるのが特徴だ。
ゼロ戦は1挺 ずつ、計2 挺 。

機体の修復は紫電改を製造していた人たちの手によるもの。

敵の機銃掃射であいた穴。
できるだけ手を加えずに、沈んでいたときの状態を残すようにしたらしい。

この機体は、長崎鼻から200メートル沖の海底から発見されたもの、という解説がある。長崎鼻はここから30Kmほどだ。

海底から引き揚げたときの写真。
ここに展示館を作ったのは、沈んでいた海が見える場所だから、という理由。
謎が解けた。

さあ、足摺岬へ向かおう。

山間部を抜け、足摺サニーロードに入る。気持ちがいい道だ。

叶崎(かなえざき)の橋の欄干。カツオか?

こちらはトビウオ。

白く、叶崎灯台が見える。

相棒バイクを停め、灯台に向かう。

5分ほどで灯台。
さらに岬の先端まで進む。

細い道を少し下ると視界が開ける。

透き通った海が美しい。

陽が傾き、岩はシルエットとなる。

竜串(たつくし)海岸の少し手前。赤いのは海中展望塔。足摺海底館と言う。
水深7メートルの海底が見られるらしい。

竜串ビジターセンター うみのわ に立ち寄り、資料をいただく。
う~む、竜串海岸は面白そうだ。

1700 足摺岬より少し手前の宿に到着。

今日は竜串海岸を見る時間がなかった。明日、時間が許す限り見てみよう。

■本日のデータ
カツ丼:初恋の味。
唐揚げ弁当:バイカル湖より深い味。
ランボルギーニ ミウラ :3億円。
岩松の町並み:閲覧無料。有料施設の存在は未確認。
岩松の駐車場壁画:閲覧無料。
紫電改展示館:入場無料。海から引き揚げた紫電改を永久展示するための施設。
宇和海展望タワー: 運行中止。
竜串ビジターセンター うみのわ :新しい施設。資料が豊富。展示もグッド。係員は親切。竜串海岸に行く前に立ち寄ることを推奨。

■本日の宿
足摺岬の近くの民宿。四国で初めての2食付き。周りにはスーパーもコンビニも無い。

2021/08/24 卯之町の伝建地区を散策(D306)

ここは、愛媛県(えひめけん)西予市(せいよし)宇和町(うわちょう)卯之町(うのまち)だ。
ふりがな無しでこの地名をすべて正しく発音できる人は少ないだろう。
「せいよ」か「にしの」か、「うわちょう」か「うわまち」か、「うのちょう」か「うのまち」か。
「愛知」は「あいち」で「愛媛」は「えひめ」、なぜ「姫」じゃなく「媛」と書く?

ニホンゴ、ムズカシイ。ムヅカシイ? ムツカシイ?

宿の近くがたまたま伝建地区(重要伝統的建造物群保存地区)だった。
知っていて宿を取ったわけではない。たまたまだ。
せっかくだから観て行こう。
(日本一周中は「観て」か「見て」か迷うことが多い。「観て」は「見物」だから、当事者意識なしで見る、ということになる。)

宿の近くの一般住宅。
電柱(電信柱かもしれない)に「中心街」の標識がある。
このあたりが卯之町の中心街なのか、と思いつつ歩く。
※電柱は電力会社の所有する柱、電信柱は通信会社の所有する柱。正確に使い分けるのは難しい。

木造三階建ての家。
これを建てたころ、木造三階建ては認可されていないはず。
どのように建築許可を取ったのか、不思議だ。

親亀の上に子亀を乗せて、子亀の上に~、という歌を思い出した。
何のためにこれを? 不思議だ。

同じ敷地内の向かいの家。
何のためにこれを? 不思議だ。

「旧武蔵」という建築物。
明治期に「武蔵(屋)」という屋号で商いをしていたから。
今は「昔のくらしを体験する」施設になっている。

大門(鳥居門)
江戸後期築。詳細未確認。

造り酒屋。(株)元見屋酒店。
「長期熟成(拾年以上)純米酒 開明」とある。
長期熟成の純米酒、あまり聞いたことがない。美味しいのだろうか?

文化の里休憩所。
建物の左右に「うだつ」がある。由緒ある建物か。詳細未確認。

松屋旅館。
江戸時代創業。

宿泊した有名人の名前を記した看板。
知っているのは新渡戸稲造(にとべ いなぞう)ぐらい。
「元国連事務総長」とあるが、確か「事務次長」だったと思う。
五千円紙幣の肖像とか、東京女子大の初代学長のほうが知っている人は多いはず。
あと、種田山頭火は知っていますが、友人までは知らないです。

旅館の向かいの小倉屋。詳細未確認。

看板がないので一般住宅か? だと目立ちすぎる色合い。詳細未確認。

アパートか? 案内マップには「飾り瓦」とだけ記載がある。

その飾り瓦がこれ。シンボルは大根。詳細未確認。

この建物にも飾り瓦が。

水滴か栗に見える。詳細未確認。

こんな飾り瓦も。大黒様はどこへ行っても人気です。

「うだつ」のある建物。左右の小さな屋根が付いている部分が「うだつ」です。
火災から守る防壁。お金がないと作れなかったので、「うだつがあがらない」と言われたらしい。

大正時代の煉瓦壁。向こうは末光家住宅。

末光家住宅。卯之町らしいデザインが残る町並みの代表的な町家。
と案内マップに書いてある。

開明学校。
明治15年築。擬洋風の小学校校舎。

おそらく一般住宅。詳細未確認。
雨漏りをどう直すか、職人さんと家主がご相談中。
そう、この手の家屋は設計ミスによる雨漏りが多く、根本的に直すのが難しいのだ。
職人さんは、根本的に直さないとすぐ雨漏りするよ、と言っている。
家主さんは、でもお金がかかるでしょ、と言っている。
ホントにたいへんですね。

さて、立ち聞きはやめて宿に向かおう。

École Mai Ballet
個人バレースクール。
町や建物とは異質な感じ。でもいいですね。何だかホッとする。

なぜホッとしたのか考えたら、どんどん息苦しくなっていたことに気づいた。

その理由は、以下の写真を見ていただければわかると思う。

老朽化したままの家々。
伝建地区でも修繕ができず放置に近い状態だ。
おそらく町に予算がないのだと思う。
観光客はお金を落とさず(私もそうだ)、税収は増えず、でも文化遺産の保存は重要だ。
国の助成金は微々たるもので、寄付する企業・個人もいない。
八方塞がり。残るのはクラウドファンディングか?
卯之町は悩みを抱える伝建地区の象徴かもしれない。
(この部分、あくまで個人の推測で未確認です。)

0930から始めて1100に終了。1時間半で回り終えた。

さて、次の目的地、宇和島に向かおう。

途中で立ち寄った法華津峠(ほけづとうげ)からの風景。
手前の海は法花津湾(ほけづわん)。
同じ「ほけづ」なのに「華」と「花」。地名は難しい。

午後は早めにチェックイン。
早くブログを書き終えて、宿泊計画を変更せねば。

宇和島城見学を組み込んでいなかった。
明日からの宿をすべて組み替えて日程をずらさねば。
今日中にキャンセルすれば、キャンセル料はギリギリセーフ。
頑張るぞ。

■本日のデータ
入場料が必要なところはすべて臨時休業。
伝建地区は外から観て回るだけならすべて無料。これが問題なのだが。

■本日の宿
宇和島駅の近く。