2019/10/26 萩の世界遺産&浜崎伝建地区を観る(D250)

さて、今日は萩の「明治の産業革命遺産」見学だ。
造船所跡、反射炉、松下門塾(しょうかそんじゅく)の3カ所。

宿から10分ほど走り、恵美須ヶ鼻造船所跡(えびすがはな ぞうせんじょあと)に着く。

ブルーシートが目に入る。説明板に「庚申丸造船場」(こうしんまる ぞうせんば)とある。庚申丸は日本で初めて作られた「西洋式木造帆走軍艦」だ。

造船所全景。右側。

同じく、左側。思ったより狭い。
発掘調査の結果を踏まえて、当時の作業エリアがロープで示されている。

庚申丸造船場(こうしんまるぞうせんば)

スクーネル打建木屋(すくーねるうちたてごや)

絵図木屋(えずごや)
「原寸大の図面を作成した図面場。建物の平面規模は約27.5m×5.0m」とある。
原寸大の図面を作ったのか。おそらく、それを下に敷いてその上に建造していったのだろう。

萩反射炉に着く。
ここには実物が残っている。写真右上の端に反射炉の茶色い頭が見える。

階段を登り、反射炉入り口に着く。無料ガイドさんがいる小屋。
覗いたがガイドさんはいなかった。説明に出ているのだろう。

これが萩反射炉。手間でお話している人たち。右の人がガイドさん?
話かけたらそのとおり。
ガイドお願いしま~す。

いろいろ説明していただいた。
結局、この反射炉では鉄は作れなかった。残念!
その理由が面白い。
のだが、長くなるので割愛。興味があればネット検索してみてください。

裏に回って撮ってみた。
実物が残っている、というのはいいね。ビジュアルは大事だ。わかりやすい。

次は、有名な吉田松陰(よしだしょういん)。松下村塾(しょうかそんじゅく)へ行く。「まつしたむらじゅく」ではないので注意(笑)

松下村塾(しょうかそんじゅく)前。
黄色い服のガイドさんに説明を受けるご一行様。

NHKの大河ドラマがね、うんぬんかんぬん。と話しているのだろう。
「松下村塾」と言われるこの建物は、塾のために建てたもの。住んでいたわけではない。

住んでいた家はこちら。すぐ隣の父の家。
大きい家だ。写真は家の一部(1/3ほど)

松陰神社。住居の少し奥にある。
教え子たち、伊藤博文などが作った神社なのだそう。

吉田家の家紋が幕に描かれている。家紋の中の「卍」が気になる。
卍が描かれている家紋は初めて見た。
最初は、神仏混交? と思ったが、家紋だから関係ないはず。
調べたら面白そう。

早めに観終わったので、宿の周りをブラブラ。

商店街のハロウィンイベント。ファミリーでいっぱい。
左手にはかわいい魔女もいる。いいねぇ。

こっちでは、ゆるキャラ(名前わからん)と子供たちが記念撮影。
このゆるキャラ、猫っぽいので「〇〇にゃん」とか言いそう。
まさか「はぎにゃん」じゃないよね。

お腹が空いたので、露店でクリームパンを買う。
クリームパンなんて10年以上食べてないと思う。素朴な感じだったので、つい買ってしまった。
見た目のとおり、素朴な優しい味で美味しかった。
写真はイベント案内パンフの上に乗せて撮ったもの。

萩市には伝建地区(伝統的建造物群保存地区)が4つもある。
堀内地区(ほりうちちく)、平安古地区(ひやこちく)、浜崎(はまさき)、佐々並市(ささなみいち)だ。

その一つ、浜崎に向かう。

途中で見かけた「鶴江の渡し(つるえのわたし)」
対岸の鶴江地区とこちら浜崎地区を結んでいる。

観光用ではなく市民の足。無料。
今でも日常的に利用されているのがわかる。
運行時間内だったが、市民ではないので遠慮して乗らなかった。ちょっと残念。

浜崎伝建地区に入る。

旧山村健住宅。側面から。

同じく。正面から。
木造の茶と漆喰の白。このコントラストがいいね。

旧山中家住宅(右側)
2階が高いのが特徴。左の家と全然違う。

旧萩藩御船倉(きゅうはぎはんおふなぐら)
その名のとおり、船を格納した船倉。
前面は木製扉。両側&奥は玄武岩の石積み。上は瓦屋根。
昔は松本川に面して船が自由に出入りできたらしい。その後、埋め立てられて今は市街地の中。旧藩時代で、屋根を葺いた船倉としては全国唯一の遺構。

相棒バイクでゆっくりと回っていると、、、

おお、屋根に猛禽類が。サシバかトビか詳細不明だが。
生まれ変わるとしたら絶対にこれ。いつも優雅に空を飛んでいる。いいなぁ~。

藤井家。海産物&魚問屋。
木造の長い建物。屋根の高さが3種類あるのが面白い。2階の高さが異なるのだ。どうして?

無名の一般住宅。一階の木造と二階の漆喰のコントラストがいい。

池部家。
屋根が3層で、1階2階は屋根が斜めに傾いている。
さらに、1階は上から見た形が三角形。
とても奇妙な造りをしている。面白い!
Myお気に入り建築物No1になりそう。

中村亀吉商店。
ガラスに映る相棒バイク&私を意識して撮影。こういうのももいいね。

人が住まない木造住宅。

柱は朽ち、、、

二階の梁は割れ、トタンは錆び、、、

壁は剥がれ、、、

木壁は剥がれ、、、

伝建地区は規制が多く住みにくい。子供たちは市外・県外に働きに出る。
だから高齢者だけが住む。
高齢者がいなくなったら、どうなるのか、、、
日本国中の伝建地区が抱える課題だと思う。

ということはさておき。こちらは住宅と蔦(つた)のコントラストが面白い。

これだけしっかりと蔦が絡むと雰囲気がいいですね。

大嶋家。
醤油醸造元。写真では見えないが、中には大きな樽が置いてある。

泉福寺への入り口。門なのだろう。家と家に挟まれた独特のビジュアルだ。

一日中、変化に富んで楽しかった。
ブログ用写真のセレクトがたいへんだぞ。

【本日のデータ】
観光&ガイドさん:すべて無料。ありがたいが申し訳ない。特に伝建地区にはお金を払ってもいいと思う。囲いがないので、集金方法が難しいのが問題。

【本日の宿】
萩市内。昨日とは別の宿。今日は土曜日なので安い宿を取るのはたいへん。
いつも土曜日の宿確保で苦労する。

2019/10/20 大宰府&大野城跡を歩く(D244)

博多から20km、40分ほど走って、大宰府天満宮に着く。
参道の入り口に西日本鉄道 大宰府駅がある。
駅の駐輪場に相棒バイクを停め、参道を歩く。

観光客であふれる参道。令和効果か?

木組みを使ったデザインのスタバ。
みんなが記念撮影をしている。海外からの人たちも大喜び。

御神牛(ごしんぎゅう)の頭を撫でながら記念撮影する親子。
後ろでは順番待ちの大行列。

太鼓橋を渡る。
一つ目の太鼓橋から撮影。向こうに見えるのが二つ目の太鼓橋。
さらに向こうには鳥居と楼門。

楼門の前の広場ではバンドが演奏中。
広場は露店と観光客でいっぱい。
いつもこうなの? と思ったら、こんなポスターが、、、

SOL A MEETS IN DAZAIFU というイベントだった。
これほどじゃないけど、土日はお客さん、多いね。とはお店の人の話。

楼門。
屋根の上の龍は「登龍門伝説 飛龍大神ねぶた」

う~む、よくわからないが、いろいろなことを考えるものだ。

本殿前には参拝者の大行列。

参道には梅ヶ枝餅のお店がたくさん。

一つだけ買って食べてみた。平たくした大福餅を焼いたもの、という印象。
130円。このお店ではPayPayが使えた。

お店ごとにいろいろな作り方をしている。
買ったのは手作業で焼くお店だったが機械で焼く店もある。

2個ずつ焼く機械。グルグル回りながら焼き、下から出てくる棒が蓋をパカッと持ち上げる。

こちらは1個ずつ焼くタイプ。
きっと餅も1店舗ずつ異なるのだろう。比較研究したら面白いかも。

大宰府の北西に大野城跡がある。
大野城は、大宰府があった時代に築かれた古代山城だ。唐(とう)・新羅(しらぎ)連合軍から大宰府を守るために作られたと言われている。

行ってみよう。
途中の岩屋城跡にも寄ってみたい。

相棒バイクで3km、10分ほど走り、岩屋城跡(本丸跡)に着く。

岩屋城跡入口。ここから5分ほど階段を登る。

本丸跡では(たぶん)ツアーの人たちがガイドさんの説明を聞いていた。

素晴らしい見晴らしだ。大宰府の町全体が見下ろせる。

大宰府政庁跡。建物がない空間なので遠くからでもわかりやすい。

大野城跡入口付近のパーキングに着く。

大野城跡の案内版。
現在地はエリアの南端あたり。太宰府側だ。

バイクを停め、歩いて見て回る。

焼米ヶ原。

遠く見えるのはさっきのツアーグループ。あそこには玄清法印の墓がある。
※玄清法印:17歳で盲目になった僧侶。盲僧琵琶(筑前琵琶)の開祖。

なだらかな丘になっていて散策にはちょうどいい。

玄清法印の墓から少し登ったところ。見晴らしがいい。
ベンチではお母さんと娘さんが絵を描いていた。

大宰府天満宮がよく見える。

八ッ並地区に着く。ここには高床倉庫の礎石群がある。

これが礎石。
高さが異なる場所に14棟分の礎石がある。
イノシシのしわざなのか、土が掘り返されていた。

百聞石垣(ひゃっけんいしがき)。
大野城は南北に2kmほどの広さがあるが、その北端あたり。
100間(180m)近くあるのでこの名が付いたとか。
大野城はほとんどが土塁(どるい)。石垣は一部だ。

あっと言う間に15時だ。まだ観たいところがあるので、大野城跡は終わり。

大宰府政庁跡。大宰府の中心地だったところ。
建物の礎石が並んでいる。発掘調査に基づいて復元したもの。

坂本八幡宮。
「令和」で一気に有名になった。
大伴旅人(おおとものたびと)の邸宅があったところらしい(所説あり)。
大宰府天満宮とは異なり、質素で落ち着いている。

お宮の壁に貼られていた解説。
「令和」「万葉集」「梅花の宴」「大伴旅人」「大宰府」の関連性が解説されている。
こういうの、いいね。これで私もにわか令和通。

「祝 令和」の華やかなのぼり。

令和の記念碑。できたてのホヤホヤ。
私は記念碑には興味がないのだが、これはこれでいいね。

御朱印にも興味がないので、写真なし。ごめんなさい。

【今日のデータ】
梅ヶ枝餅:130円。
大野城跡:周囲を囲む土塁・石垣の総延長8km.自然歩道を歩くと面白そう。
坂本八幡宮:御朱印の授与日は決まっている。欲しい人は要注意。

【本日の宿】
博多駅近く。昨日とは異なる。
安い割には設備がいい。新しい考え方でメリハリを付けている。
メインターゲットは外国人と若年層。

2019/9/20 綾、西都原古墳群を観て、延岡へ(D214)

9時過ぎに起き、朝食をご馳走になる。
奥さまが焼いたパンがとても美味しかった。

出発前に記念撮影。

雨がパラついていたので、玄関前の軒下で。
奥さまが撮影してくださった。

母屋をバックに撮っていただいた。
右側に写っているのが奥さま。たいへんお世話になりました。
朝食の手造りのパンも美味しかったです。

今日は、綾町→西都原古墳群→延岡というルートだ。

まず、綾に立ち寄る。
ここは、自然をとても大切にしている町だ。
知人は宮崎に移った直後に3年ほどここに住んでいたらしい。
とても素晴らしいところ、と絶賛していた。

「綾の照葉樹林プロジェクト」の案内板。
人工樹林(スギ、ヒノキ)を少しずつ照葉樹林に切り替えていくというもの。
※照葉樹林(しょうようじゅりん):常緑広葉樹林の一種。葉の照りが強い樹木が多いのでこの名がついている。

手つくりほんもの処(センター)

綾で収穫された果物や野菜が並ぶ。

綾町自然生態系農業認定制度(※)の説明板。
※綾町では昭和63年に「綾町自然生態系農業の推進に関する条例」を制定している。

「顔が見える!農産物等出荷登録生産者名簿一覧表」
知人の名前もあった。

建物の中。

地元の人が買いに来るので、評判がいい品はすぐ売り切れるらしい。

綾町自然生態系農業認定制度の説明があちこちに下がっている。

こちらは「認証基準の仕組み」の説明。基準が明確なのがいいね。

「ねりくり」って何?
お店の人に尋ねたら、丁寧に教えてくれた。お餅とお芋を混ぜて練ったものらしい。

「千恵子さんのあん入りねりくり 250円」を買ってみた。
きなこがまぶしてある。

がぶっ、といったときの断面はこんな感じ。
大福みたいな触感だが、ねりくり(皮)が柔らかく、ほのかに甘い。
ねりくり(皮)もあんこも美味しかった。千恵子さん、ありがとう。

「綾菜薬膳」というお弁当が美味しそうだったので買うことに。530円。
夕飯にする予定。

綾城。別名、竜尾城
町を見下ろすように建っている。
元々の綾城は鎌倉時代に築かれたが、江戸時代に廃城になった。
現在の綾城は、昭和60年に戦国初期城楼建造物として構築されたもの。
元々の綾城を復元したというわけではない。

木造の渋い建物だ。現在は歴史資料館となっている。

綾町から25km、40分ほど走り、西都原古墳群(さいとばるこふんぐん)に着く。

写真の黄色い丸が古墳その他の遺跡の位置を示している。
日本最大級の古墳群だ。

時代により、前方後円墳、円墳、地下式横穴墓群の3種類があるらしい。

鬼の窟古墳(おにのいわやこふん)(206号墳)
鬼が一夜で造ったという伝説からこの名がついている。

二重になっているので、外側(土塁)に登ってみた。

内側はこんな感じ。窪み部分が横穴式石室。この奥に遺体を納める玄室がある。

81号墳。円墳。鬼の窟古墳からよく見える。

男狭穂塚(おさほづか)古墳。
樹木の向こうにこんもりと土が盛り上がっている。
日本最大の帆立貝形古墳ということなのだが、横から見ても形はわからない。

女狭穂塚(めさほづか)古墳。
よく見ると樹木の向こうがこんもりと盛り上がっているのがわかる。
九州最大の前方後円墳。やはり形はわからない。

72号墳。円墳。

202号墳。前方後円墳。

169号墳。円墳。

第3古墳群。写真には4つの円墳が写っているが、周囲にはたくさんの古墳がある。

という感じで、どこもかしこも古墳だらけ。
小さい古墳は形がはっきりわかるのがいいね。

西都原古墳群から40km、1時間ほど走り、美々津(みみつ)に着く。
江戸時代~明治・大正の町並みが残る、重要伝統的建造物群保存地区だ。

美々津軒。
商家(旧矢野家)を修理復元した建物。一般公開されている。入場無料。

下が木造の町家、上が土蔵という造りが面白い。

家の前に跳ね上げ式の縁台(えんだい)が付いているのが面白い。
写真は跳ね上げた状態。

消防施設。消防車が入っているかどうかは不明。

カフェ。

二階も木造というのは珍しい。観た範囲ではこの建物のみ。

美々津から30km、1時間ほどで、延岡の宿に到着。
今日は140km近く走ったので、ちょっと疲れた。

【本日のデータ】
西都原古墳群は、桜・菜の花・ヒマワリ・コスモスなど四季折々の花が咲くという話なのだが、今日はまったく何もなし。寂しいものだった。

美々津は情緒ある町並みだが、無人の家も多く、寂しさが漂っていた。
重要伝統的建造物群保存地区は、さまざまな制約があり、住むのはたいへん。
歴史と観光と普通の暮らしという3つのバランスをとらないとやがてゴーストタウンになる危険性がある。

【今日の宿】
延岡市内。台風が近づいているので、様子をみながら連泊も検討中。