9月11日(火)89日め 笹川集落(砂金遺跡)と宿根木

朝からいい天気。佐渡島の南側半分をグルっと一周しようと思う。

昨夜泊まったのは真野というところ。下のマップで赤丸あたり。

西が真野湾。昨日、見学した酒蔵の銘柄は真野鶴。

真野湾沿いを走ろうと思い、港に出る。

トンビがいる。

何か食べている。

あっ! 獲物をつかんで飛び去った。魚のようだ。

朝の空気が気持ちいい。漁船とのツーショット。

トンビが悠々と飛んでいる。いいなあ。あんな風に飛びたい。

真野湾沿いを走る。広々として気持ちいい。

パノラマで撮ってみた。

丘陵地帯を走る。

青空と海と稲。

稲と海と青空。

湾の近くまで行ってみる。行き止まり。眼下に海が見える。

しばらく走り、佐渡西三川ゴールドパークに着く。

ここは砂金取り体験ができる施設だ。受付のおねーさんに周囲に遺跡があるかを尋ねるとマップをくれた。

笹川見どころマップ。このエリアを笹川集落と呼ぶらしい。笹川集落は砂金山に関連する遺跡などがある村だ。マイナーなので素朴でいいかもしれない。

よし、このマップに従って観ていこう。

おねーさんから教えられた道を走り、笹川集落に着く。

このあたりだ。

マップの裏側。詳細な説明がある。

上(02)から下(11)に向かって順に観ていくことにする。
※「02」「11」はマップ上の番号。

01と02は別の道なので、01は後回し。

02 大山祗(おおやまずみ)神社。

鳥居の左手に能舞台がある。

能舞台の正面。こんな山村に能舞台とは驚いた。昭和20年代まで能が演じられていた、と資料にある。

老朽化が激しい。このままで遺跡として維持できるのか?

すぐ近くに、03 金子勘三郎家。砂金山の名主(なぬし)の家。

江戸時代後期の建築、とある。

道からの風景。家の裏側だ。

庭に入り、表に回る。

手前の建物。

奥の建物。

どちらも老朽化が激しい。このままで遺跡として継続できるのか?

04 銀山役所跡・金山役宅跡。何もない。

05 井ノ上沢(いのかみさわ)。

諏訪神社跡。今は水田。

棚田だ。奥に行ってみる。

ずっと上まで棚田が続いている。

06 立残山堤跡(たてのこしやまつつみあと)。何もない。

07 石積み水路跡。

石積みの上が水路だったらしい。水漏れ防止に粘土を貼っていた、と資料にある。

相棒のところで終わっているのは、道路を作ったときに壊してしまったから。道路の反対側に続きの石積みがあるのだが、草に覆われていてよくわからない。

10 旧西三川小学校笹川分校。

昭和37年の建築、平成22年まで使っていた、と資料にある。

09 阿弥陀堂(あみだどう)。小学校の裏手にある。

江戸時代前期の建物らしい。

壁に掛けられた由緒書き(ゆいしょがき)。「四国八十八ケ所霊場 第七十六番 讃岐国 金倉寺 移」と読める。

裏手。痛みが激しい。トタン板で雨をしのぐ。このままでいいのか?と思うが、いろいろ事情があるに違いない。

近くの一般住宅。小学校と同時期の建築だろう。洗濯物が干してある。
小学生のころに住んでいた家はこういう感じだった。ここに住み続けるのはたいへんだろう。

12 虎丸山

砂金山最大の稼ぎ場。砂金取りで露出した赤い山肌を見ることができる、とある。

これがその山肌。確かに茶色い。

01 立残山

最後に行ったのがここ。順序が逆!とか言わないで。

砂金山の採掘地の一つ。人力によって掘り崩された急斜面を望むことができる、とある。

それがこれ。

う~む。樹木の間からそれらしきものが見えるが、、、
豪雨で崩れた山肌と区別がつかない、、、

個人的には面白かったが、観光地としての一般受けはしないと思う。
はっきり言ってしまってごめんなさい。

海に向かって丘陵をくだる。

青い空、緑の樹木、赤いリンゴ、黄色い稲。こういう普通の風景がいい。

光を浴びながら、ゆっくりトコトコ走る。

丘陵なので樹木がなく、見通しがいい。段々畑に稲が実る。農家の人が軽トラでやってくる。相棒を止めて、すれ違うのを待つ。こんにちは~。どちらからともなく挨拶をする。こういう瞬間が大好き。

青空と田んぼの風景を楽しみながらトコトコ走る。

青空と雲と稲と名も知らぬ赤い雑草。

雑草の声が聞こえる。名前があるんだから、ちゃんと調べてね~

う~む、約束はできない。ごめんね。

海岸に出る、ちょっと手前。

青い空、白い雲、青い海、小さな白い花、緑の葉。それに錆びた鉄製の何か。色のコントラストがいい。

これからの話はこのあたり。

小木港(おぎこう)に着く。

佐渡名物、たらい舟。お客さんがいないので手持無沙汰で待つ女性陣。右端の一人が私が撮影している気配に気づいてこちらを振り向く。

手を振る。手を振り返してくれる。

相棒バイクを停め、おねーさんとお話でも、と思いながら歩いて行く。

と、観光バスがやってきた。

あっと言う間に女性陣、大いそがし。

けっこう波がある。たらいは揺れる。スリル満点。

おねーさんとのお話は諦めて、湾岸沿いを走る。

イカ釣り船。大型でカッコイイ。もっと小さいのが多い。

港を出て宿根木(しゅくねぎ)に向かう。

「←矢島経島」の標識があちこちに。ちょっと行ってみよう。

着いたときに見えた風景。たらい舟。なかなか絵になっている。

たらい舟の真ん中はガラスばり。覗くと海中が見える。

矢島経島という名前の通り、島が二つある。

熔岩が冷えて固まった島。歩道は整備されている。

赤い橋を越えると島になる。と、いきなり面白い門が、、、

自然の木を生かした造形。

通り抜けると、、、

奇抜な造りの建物。

相当な趣味人が作ったに違いない。

ところがパンフレットにも案内図にもまったく説明なし。島から戻って地元のおねーさんに尋ねたら、明治時代の政治家の別荘だったとのこと。まったく手入れがされていないので、あと何年もつのやら。ますます荒んだ廃屋になるのか、取り壊されるのか、復元されて新たな明治別荘風ホテルになるのか、興味は尽きない。

さあ、宿根木に急ごう。

宿根木の500mほど手前にある博物館。廃校になった小学校の再利用。

味のあるポスト。

入り口右上の看板?と鐘。赤い「非常通報装置設置」。このチグハグ感が面白い。

こちらは左上の看板。「ALSOK」との組み合わせがチグハグ感満載。面白い。

博物館の中。一室だけ昔の教室のまま。小学校がこうだったなあ。

隣は千石船(せんごくぶね)展示館。

正面。

千石船(弁才船)は江戸時代に米を輸送していた船。千石積めるのでこの名が付いた。
※千石:1石(いっこく)は約150キロ。150000キロ(150トン)積めることになる。
※1石:当時、1人が1年間に食べる平均的なお米の量。1石のお米が買えるお金が1両。1石のお米が収穫できる田んぼの広さが1反(たん)。その360分の1(1日)のお米が収穫できる広さが1坪。

中に入る。

正面に千石船がドン。カメラに入りきらない。

後ろ。

前。

ぐるっと回り込んだ後ろ側。

この千石船は白山丸といい、当時の工法で復元したもの。

概要説明資料。「512石積」とある。この船は小さいため、厳密には千石船ではなかったようだ。構造が同じなので千石船と呼んでいる。弁才船よりわかりやすい。

脇にかけられた梯子を登る。

梯子を登り切ったところ。後ろ側。

前側。

上下が二重構造になっている。下に降りる。

下は倉庫。後方。

前方。

船員はたったの7名前後だったらしい。それで日本海を走る。想像しただけで寒気がする。

500mほど走り、ようやく宿根木に着く。

宿根木町並み案内所。屋根の上に石。江戸時代の伝統的な材料&工法?

この前に相棒バイクを停める。

と、案内所から20歳代前半の若者が出てきて、宿根木マップを渡してくれ、何をどう見ればいいのかを案内してくれる。

なるほど。ということでさっそく町の中に。

町の入り口。

細い路地。

細い路地。

旧郵便局舎。2階のグリーンが目印だ。

家の中が見られる。有料。

入り口から覗いて、撮影。ここまでは無料。

水路に沿った細い道を進む。

有名な三角の家。

吉永小百合が写っているJR東日本のポスターが有名。

上から町並みが見える高台に登る。

笹薮を抜けると、、、

密集した住宅。西側。

北側。屋根の上に石を乗せている家がチラホラ。

見終わって、案内所の若いおにいさんとお話。

市の職員?

いや、ボランティアです。交代でやってます。せっかく来ていただいたので、よく見ていただたほうが嬉しいので。

ここには何軒あって何世帯が暮らしているんですか。

50軒ほどあるんですが、暮らしているのは27世帯です。お年寄りが亡くなったり。引っ越したり。

ここで生活するのはたいへんなんでしょうね。

そうだと思います。いろいろな制約がありますし。観光客のみなさんがいらっしゃっても収入につながる家はわずかですし。市から補助金も出ますが、維持費のごく一部ですね。

そうですよねぇ、、、

土産物屋が1軒(閉まっていた)。飲み屋のような雰囲気のお店が1軒(閉まっていた)。カフェが1軒(閉まっていた)。

見る側は、古い町並みを楽しみ、ノスタルジーに浸り、写真を撮り、ブログのネタにする。それはそれでいいのだが、、、

景観を維持しようとする側は、大きな負担を強いられる。負担に対する対価は少ない。宿根木ではゼロに近い。地方の観光地は大小の差はあれ、その構図の中にある。宿根木はその典型だと思う。

しばらく走る。

船つなぎ石。

白いのがそれ。江戸時代に船(というより舟)をつないだ石が残っている。

こっちにも3本。

ここでもたらい舟。絵になる風景。

宿に向かう。

夕日に輝く稲の束。昔は近所で見られた風景。絵になる。

佐渡は観光スポットではないところにも絵になる風景がいっぱい。

【本日の思索】
宿根木では人が住まない建物が半分近く。住まないと傷む。木造なので老朽化がはやい。維持するには費用がかかる。補助金では賄いきれない。近隣の維持をしたいと思う人たちがいろいろ奉仕をしているようだ。
町の入り口で観光客から入場料を取る、という手もあると思うが、今はしていない。案内所の前に募金箱があるだけ。案内のおにいさんが100円募金をしていると話していた。そのくらい出しますよ(出しました)。
平泉でやっていたオーナー制度という手もある。
観光客が増えて、儲かるのは運輸系(鉄道・フェリー・航空・レンタカー)と宿泊施設と観光会社。これらからお金を取る、という手もある。
どれがうまくいくかは不明だが、収入がないと維持できないのが現実だ。

9月6日(木)84日め 山寺(宝珠山立石寺)を観に行く

山形県酒田市から真っ直ぐ新潟に行こうと思ったのだが、せっかく山形にいるのだから山寺(宝珠山立石寺)(ほうじゅさん りっしゃくじ)に立ち寄らないと。

松尾芭蕉の句「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」で有名なお寺だ。

酒田市から約110km。3時間ほどだ。

最上川沿いの道を走る。

新庄市の本合海(もとあいかい)で見つけた建造物。

屋形船(やかたぶね)の形をしている。芭蕉がここから川下りの舟に乗ったという話がある。それを踏まえたものだろう。看板は何もないが、おそらく宴会場
面白いので相棒とツーショットを撮影。

立石寺に到着。もっとずっと山の中かと思っていた。川岸の街の中にある。

全体図。右下から左へ進み、方向転換して右上に向かう、そしてまた左へ。Zの文字を逆から書く感じで進む。

石段を登るとすぐ根本中堂。通り過ぎて左手に進む。

芭蕉の句碑。「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」と彫ってあるのだが、ほぼ読めない。左上の「み入」がかろうじて読める。

大銀杏(いちょう)。山形市で一番太い天然記念物。樹齢1000年を超える。

芭蕉と曽良の像。

こんな調子で順に紹介しても面白くないので割愛。

一番上の「奥之院」まで1000ほど階段がある。雰囲気はこんな感じ。山寺という愛称?俗称?なのはわかる。

Zの左上が五大堂。展望台だ。

以下は印象に残ったもの。

仁王門

仁王が「邪心をもつ人は登ってはいけないと、睨みつけている」らしい。

本当だ。左の仁王。

右の仁王。

邪心を見透かされた。さすが運慶の弟子。

大仏殿の阿弥陀如来。幕の向こうの半眼にも邪心を見透かされた。

修理中の仏像。睨まれた。

どうもお寺は苦手だ。そろそろ宿へ向かおう。

【本日のデータ】
立石寺の入場料は300円。妥当だと思う。
1000段と言っても大したことはない。
のんびり歩いても2時間あれば十分。

7月20日(金)48日め 宗谷丘陵を経て宗谷岬へ

次の目的地は知床。できれば羅臼岳に登りたい。ここも百名山の一つだ。

羅臼岳は、行程が長い(登山地図では片道6時間)、雲がかかっていることが多い、ヒグマが出る、などの理由で、登山初心者が1人ではリスクが高いかもしれない。まあ、とりあえず行くだけ行って、現地で考えよう。

ということで、宗谷岬に立ち寄ったあと、太平洋側の海岸線を南下することにした。

宗谷岬に向かう途中で、こんな看板が目に飛び込んできた。

メガソーラーか。話には聞いていたが実物を見たことはない。

よし、見てみよう。

ということで全体が見渡せる場所を探しながら走る。

全体はほぼこんな感じ。敷地は広く、写真の左右にも続いている。

1枚のパネルがデカい。鉄条網が上端で2mぐらいの高さなので、それから推測するとパネルの短辺が5mぐらいか。長編は4倍として20m、5倍だと25mということになる。うちの近所にある、畳20枚ぐらいのとは規模が違う。

宗谷岬に近づくと陸側が丘陵地帯になる。丘陵には発電の風車が立ち並んでいるらしいので行ってみることに。

宗谷丘陵の入り口。

「宗谷丘陵周氷河地形」とある。周氷河地形は地中の水分が凍ったり溶けたりを繰り返してできる地形で、山の部分も谷の部分も緩やかなカーブを描くことが特徴だ。

で、こんな感じ。穏やかな起伏が続いている。

少し走ると風車が立ち並ぶエリアに出る。

入り口の看板にあった宗谷岬ウインドファームの風車だ。57基の風車がある。

風車を過ぎると牧場に出る。宗谷岬肉牛牧場だ。「宗谷黒牛」が飼育されている。

う~む、だんだんテレビレポーターっぽくなってきた。

写真左手前は牛の水飲み場。右上に小さく黒牛が1頭。

写真を撮っていたら上にいた黒牛が近づいてきた。

水を飲んだあと、こっちを向いて長い舌でペロリ。耳に付いているのは個体管理用のタグだ。

たくさんの黒牛がいるが、風が強いので皆しゃがんで(寝そべって? 伏せて?)いる。

風がメチャクチャ強い。油断をすると相棒のバイクごと吹き飛ばされそうになる。こうでなければ風力発電はできない。

丘陵から宗谷岬に出る道を進むと、宗谷岬公園が見えてくる。

公園にある「あけぼの像」。左下に小さく「日本最北端の地の碑」が見える。

あけぼの像は北海道の酪農の夜明けを象徴しているという説明がある。畑作から酪農に転換するのは並大抵の苦労ではなかったろう。

上は公園内の公式な建造物の案内図。いろいろな碑や鐘や台や楼がある。

そこには記載がない建物がこれ ↓

間宮堂。ホタテラーメンで有名な店だ。

芸能人が多く訪れている。まあ、テレビ的には絶好の対象だ。

ホタテラーメン(塩)(普通盛り)

フツーに美味しい。グルメレポートはしない方針なので、以上。

間宮堂って間宮林蔵から取ったんですか? と尋ねたら、いいや間宮海峡から取ったの、という答えだった。

間宮林蔵が見つけたから間宮海峡なのだから、元は間宮林蔵だろうと思うが、
間宮林蔵→間宮堂、と
間宮林蔵→間宮海峡→間宮堂、とは違う、ということですね。

ちなみに間宮海峡の位置はここ ↓ 写真の左上。

「日本最北端の地の碑」と「間宮林蔵の立像」と相棒とのスリーショット。

間宮林蔵は間宮海峡の発見者として有名だが、実は江戸幕府の御庭番(おにわばん、政治の陰で動く忍者)でもあった。漫画『新・子連れ狼』では、大五郎の敵として間宮林蔵が登場する。像を見ながら漫画に登場する間宮林蔵を思い出して楽しかった。

(注)新・子連れ狼は、父の拝 一刀(おがみ いっとう)が亡くなったあと、息子の拝 大五郎(おがみ だいごろう)が一人で生き抜いていく物語。面白い。大五郎が賢すぎるのが欠点か。

日本最北端の地の碑から右に20mほど歩くと「宗谷岬音楽碑」がある。

ボタン(写真右下)を押すと、スピーカー(写真左上)から歌と音楽が流れる。

流水とけて 春風吹いて
ハマナス咲いて かもめも啼いて

フォーク調のゆったりしたいい曲だ。歌っているダ・カーポもいいグループだ。「結婚するって本当ですか」も好きな曲だ。ちょっと切ない、キュンとなる曲。

さて先を急ごう。今日は紋別泊まり。180kmちょっとある。

と、その前に、ガソリンを入れなくては。まだガソリンは半分以上残っているのだが、どうしてもここで入れないといけない理由があるのだ。

それがこれ ↓

日本最北端給油証明書。のようなもの。

宗谷岬にきてこれを貰わなかったらライダーとして恥ずかしい。 と言われているとかいないとか。

風が強い。吹き流しは真横になってバタバタとはためいている。

相棒ごと吹き飛ばされないようにバランスを取りながら走る。走る。走る。

風車を横目で見ながら走る。走る。走る。

パーキングシェルター。ドライバーが一休みできる。特に冬は助かるだろう。

自販機、トイレ、電話がそろっている。

でも、こっちは休まずに走る。走る。走る。

一直線に伸びた道。北海道の道のイメージがこれだ。

牧草地に出る。

そこでは牧草を梱包する風景が。

円柱状の牧草を白いシートで巻き始めたところ。牧草の周囲を機械がグルグル回転してどんどん巻いていく。

グルグルと巻き続ける。牧草が見えなくなった。

巻き終わると白いシートが切断される。上がその瞬間。白い梱包の左側がパンッと跳ねているのが分かるだろうか。切断されたシートの端っこだ。

巻かれた牧草が地面にゴロンと投げ出され、機械は次の牧草へと向かう。

さて、こっちは紋別へと向かおう。

乳牛がいる。強風対策なのか寝そべっているのが多い。手前の牛が、何だこいつ、という顔でずっとこちらを見ていた。写真を撮るとあわてて目をそらす。ちょっとシャイなやつ。

ベニヤ原生花園に立ち寄る。時間はないが、まあ、着くのが遅くなるだけだ。

ノハナショウブ(野花菖蒲)が見ごろ。栽培されている花菖蒲の原種だ。

群生している。

こちらはコウリンタンポポ(紅輪蒲公英)。ヨーロッパ原産の帰化植物。ということは元外来種? 長い時間が経つと帰化したとみなされるのだろうか?

出発しようとしたときにスクーターに乗ったライダーがやってきた。何となく話をしていると、なんと相棒カブのカスタムをお願いした岐阜のバイク店のすぐ近所だという。

オレもね、カブのカスタムの見積もりをとったことがあるの。頼まなかったんだけどね。クロスカブ風にしてるのか。ちょっと写真撮らせて。帰ったらバイク店に行って、こんな人と北海道で会ったよって話すから。覚えてるかな?

ということで、例によって記念撮影の2+2ショット。バイク店のご主人とおねーさんによろしくね。きっと覚えていると思うよ。

さあ、急がねば。

そろそろ紋別、というあたりでこんな光景が。ここまで来ればもう余裕だ。写真撮っておこう。

刈った牧草を、機械の後ろの回転する爪状のもので集めて、山脈状にしている。

正面から見たところ。機械に向かって右側に牧草が集められているのがわかる。

集めた牧草をグリーンの箱が飲み込んでいく。黄色い部分が飲み込み口だ。

一杯になると、パカっと開いて丸めた牧草を地面に落とす。なるほど。

今日は「牧草の束ができるまで」を学べてよかった。学ぶ順序は実際とは逆だったけどね。

【本日のデータ】

ホタテラーメン(塩、普通盛り):900円(税込)

日本最北端給油証明書(のようなもの)+ ガソリン1.6L:251円(税込)