6月23日(土)21日め いわき市から相馬へ(後編):福島原発周辺の今(その2)

警備員のお兄さんに渡された迂回路地図よりもショートカットできる道を進む。目に飛び込んできたのは、見覚えのある標識。

うわっ。この道はダメだ! ということで引き返す。次の道は、、、またもNG!

日が暮れて寒くなってきた。おなかもすいた。そういえばお昼、食べてない、、、小雨がパラついてきた。雨になるとiPhoneナビが使えない。ケチらずにもっと新しい防水のモデルにしとけばよかった、、、 降ったら道に迷いそう、、、

落ち着け。冷静になれ。いいか、少なくとも迂回路地図に従えば確実に行ける。だから大丈夫。もう当てずっぽうはやめて迂回路地図どおりにやろう。

で、そのとおりにしたら、コンビニがあった。こんな山の中にコンビニとは! 神様、ありがとう! コンビニのオーナー、ありがとう! コンビニはバイカーの避難小屋だ。

カップラーメンを食べて温まりながら、「ツーリングマップル(※)」を開く。なんてこった! 通行止めの地点がすべて書いてあるじゃないか。最初からこれを見て計画を立てていれば、こんな思いはせずにすんだのに。

焦っていたので写真など撮る余裕無し。代わりに「ツーリングマップル」の一部を載せておく。こんな感じで記載されていたのだ。

あとは問題なく20時に相馬の宿に着く。疲れた、寒い、眠い、、、おやすみな、、、、、、、

※ツーリングマップル: 昭文社。自動車用マップルをベースに二輪車のお役立ち情報を満載にしたもの。道路の状態(特に林道)、ライダー向き飲食店・宿泊施設、景色のいい道路、が特に有用。バイカーで知らない人はいない(知らないのはバイカーじゃない)はず。サイズが小さいので扱いやすいのが売り物だが、文字が小さいのが欠点。ということを踏まえてか、ひと回り大きいサイズのも出た。

【本日のデータ】

迷うと疲れる、、、、、

6月23日(土)21日め いわき市から相馬へ(中編):福島原発周辺の今(その1)

海沿いに第二原発に向かう。そろそろというところで見えてきたのは広野火力発電所の煙突だ。火力発電所の煙突は今まで見たことがなかったので記念撮影。

少し走るとこんな風景が。

ここで田んぼアートと出会うとは。遊び心を持った人がいるようだ。

近寄るとこんな感じ。う~む、何だかわからない。

第二原発に着く。敷地の門まで問題なく到達。あっけなさすぎて写真を撮るのを忘れた。もちろん敷地内には入れない。

次の目的地、第一原発を目指す。

しばらく走ると低濃度PCB廃棄物保管エリアに遭遇。重機の向こうに黒く横たわるのが廃棄物が入った袋だ。

ものすごい数が周辺のエリア一帯に積まれている。

そこから少し走るとこのような標識が。

バイクは海側から内陸に向かっているので、これまで走って来たエリアにはすべて津波が来たということだ。この標識は、今後あちこちで見かけることになる。

いろいろな工事が行われている。これは新しい道路の建設。文字が入っていない標識を見たのは初めてだ。

第一原発まで4~5kmの地点でこんなディプレイを発見。

「テロ特別警戒実施中」と表示されている。

さらに進むと通行禁止の看板が現れる。

この写真を撮影して引き返そうとすると、パトカー風の車が1台追いかけてきた。

ゆっくりバイクを停めて待つ。

すみません。今、そこで何をしていたんですか? 写真撮ってましたよね?

はい、撮ってましたけど、何か?

撮影は禁止なんですよ。撮った写真を見せていただけませんか。

いいですよ、ほら。この2枚だけですよ。

撮影は禁止なので削除してもらえませんか。

敷地内には入っていません。撮影禁止なのは構内ですよね。「撮影禁止」って書いてある看板を外から撮影することも禁止なんですか。そんなことないですよね。機密事項なんか何も写ってませんよ。

60歳ぐらいの気のよさそうな男性が困った顔をして、「う~ん、これからどこへ行くんですか」と尋ねる。もちろん警官ではない。警備会社の人だ。

今日は相馬へ泊って、明日は仙台。そのあとは北上して北海道へ行く予定。

わかりました。じゃあ、気を付けて。

ありがとうございます。では。

ということで、それなりにしっかり警備していることがわかった。どうしても削除しろ、と言ってきたら、権限の確認→正式手続きの要求など、それなりの対応策を考えてあったのだが、あっけなく終わってしまった。喧嘩しにきたわけではないので、穏やかに終わってよかったのだが。ちょっと肩透かし。

次は第一原発のすぐ脇を走る6号線を通れるかどうかの確認だ。6号線を北上するとこんな看板が、、、

やっぱり。話には聞いていたが、車はOKだが二輪はNGというのは本当だった。行けるところまで行ってみようと思い、さらに進む。

まだまだ。さらに進む。

帰宅困難区域の境界だ。向こうに家が見える。ここからは見えない家がいくつあるのか、と思うと何とも言えない気持ちになる。

だが道はまだ完全にはブロックされていない。向こうに警備員らしい人が見える。よし、警備員に止められるところまで行ってみよう。ということで200mほど進む。

若い警備員に止まるよう声をかけられ、迂回路の地図をもらう。ずっとニコニコしていて愛想がいい。(下の写真ではチラッと制服が見える)

すみませんが、二輪は通れないんですよ。車なら大丈夫なんですが。囲われているかどうかで被爆量が違うみたいです。このまま行くと警察に止められますよ。パトカーが行ったり来たりしているので。

わかった。ありがとう。(お兄さんは剥き出しでずっと立ってるわけだけど、被爆量は大丈夫なの?)と思ったが言うのはやめた。若い人を困らせてもしょうがない。

さて、迂回するか。でもこの迂回路の地図どおりじゃなくてもいいだろう。もっと近い道がありそうなものだ。と、考えたのが大失敗。このあと大後悔することになる。

(後編へ続く)

6月23日(土)21日め いわき市から相馬へ(前編):津波被災地の今

いわき市から原発(第二、第一)を経て相馬に向かう。あの大震災からもう7年。記憶が風化するのは早い。しかし、モノの風化は記憶より遅い。モノが語り続ける現在の現実も存在するはずだ。

「物見遊山」という言葉がある。私のはそうか? そうでないなら何なのか? 大切なのは「何がしたいのか?」ということだ。目的を明確にせよ!

難題だったが答えはシンプル。津波の被災地は今どんな様子なのか? 原発にどこまで近づけるのか? 帰宅困難地域との境界はどうなっているのか? ギリギリまで近づいたときにどんな事が起こるのか? 今の現実を知りたい。

大震災のときまったく何もしなかったという負い目がある。だってしかたないじゃないか、という言い訳もできる。人ぞれぞれ思いはある。私にとって確かなのは、ずっと気になっている、ということだ。

いわき市を出て海岸方向に走ると、道の駅よつくら港が見えた。自衛隊の車両がある。

車両の脇にバイクを停めて、自衛官とお話しする。

道の駅のイベントに加わってます。月に1回やっているみたいですが、自衛隊が連携するのは今回が初めてです。このあたりは全部流されてるから、道の駅も周りの建物もみんな新しいでしょう。あっちに地元の自衛官がいるから、詳しいことを聞いてください。

ということで地元の自衛官に話を聞く。自衛官の募集ですか?

そう、この道の駅のイベントに参加するのは初めてなんだけどね。募集しても応募者が集まらなくて。イベントで少しでも知ってもらえればと。

募集パンフレットとテッシュペーパーをもらう。

う~む、工夫のあとがよく見える。ずっと前から人集めが最大の問題だ。

テーブルを見ると、自衛隊のいろいろな写真がプリントされている缶バッチがたくさん置かれている。一ついただいていいですか。

いいですよ。これ、ぜんぶ私が作ったの、個人的に。子供たちに自衛隊を知ってもらいたい、と思って。お知り合いのお子さんにあげてください。

ありがとう、とお礼を言って、車両付近の自衛官に再び近づき、少しお話し。

私たちの所属は第6高射特科大隊です。ミサイル部隊です。

この車両は指揮所用車両です。指揮官が乗る車両です。攻撃されたときはこの中に逃げ込みます。今はハイテク機能が装備されているので、それを駆使して指揮します。

自衛隊についてはいろいろな考え方があるだろう。私とあなたでは考え方がまったく違うかもしれない。ただ、はっきりしているのは、物理的に破壊されたら終わり、ということだ(注)。人も国も。災害も戦争も。どちらも無いほうがいい。無くす努力は必要だ。だが、完全に無くせない限り、どちらにも備えが必要だ、と私は思う。

(注)これは、唯物主義者、無神論者の考え方だ。物理的に破壊されても魂は生きる、という考え方もある。私は、今のところ素粒子物理学が真実により近い考え方だ、と考えているので、必然的に唯物主義者で無神論者ということになる。ただし、共産主義者ではない。唯物主義者=共産主義者という誤解があるので念のため。

訓練はたいへんですか。

それはもう。30kgの荷物を背負って40km歩く。しかも夜間。ほとんど眠りながら歩いてる。でも、私たちは歩兵部隊じゃないから。歩兵部隊はもっと厳しい。

という感じでいろいろお話ししていただいた。きっと震災当時もいろいろたいへんだったんでしょうね。ということで例によって記念撮影。

この道の駅はいろいろな工夫をしている。

これは建物を支える柱に貼られていたもの。小学生らしい絵がほろっとさせる。

これは情報館内に貼られていたもの。最上部に「四倉小児童(小6)がおすすめする」とある。(たぶん)先生と一緒にみんなで作ったのだ。計画を立て、絵を描き、文章を考え、、、 どのくらいの時間がかかったのだろう? 作っている姿を想像すると、何とも言えない気持ちになる。少しでも四倉を盛り上げよう、という気持ちが伝わってくる。

四倉から少し走るとボロボロの土蔵が目に飛び込んできた。

家の人を見つけたのでお話を伺う。

流されなかったんですね、あの土蔵。そうとうやられてボロボロですね。

ああ、津波でボロボロになった。あっちの母屋も流されずにすんだが。

2mぐらいの波が来たので、扉も窓も家財道具も全部流されて。瓦も流された。あの色が違う瓦は流されたとこ。別ので修理した。

瓦の白っぽいところが(たぶん)流されたところ。ガラス戸、玄関ともきれいになっているが、当時はすべてが流されていたのだ。前を走る道路の隣はすぐ海岸。全部が流されなかったのは奇跡に近い。許可をいただいたので写真を掲載。

お別れするときにワンちゃんが、こいつ怪しいやつだなあ、という顔つきをして見送ってくれた。

(後編に続く)